『SWEET SIXTEEN』(2002年)
服役中の母ジーンはリアムの16歳の誕生日前日に釈放される。リアムは胸をときめかせ今の生活を抜け出す決意をしていた。まだ味わったことのない夢に見た暖かい家族のぬくもり、それはチンピラどもの手の届かない安息の場所で、母と姉とささやかながら幸せな生活を送ることだ。しかしそのためには何よりもまずお金を貯めなければならない。リアムが親友ピンボールと始めた計画は、大きなトラブルを巻き起こし深みにはまって行く…。(公式DVDより)
今年最後に取り上げる作品は、ケン・ローチ監督の『SWEET SIXTEEN』(2002年)です。一貫してイギリスの労働者階級の社会問題に焦点を当ててきたケン・ローチ監督ですが、本作も英国北部のグリーノックという町を舞台に、若者の貧困や薬物の問題が痛いほどリアルに描かれています。2002年の第55回カンヌ国際映画祭では脚本賞を受賞、字幕翻訳は齋藤敦子さんが担当されました。
頻出するf-wordとスコットランド訛りの英語
この作品がイギリスで公開された時、セリフにあまりにも汚い言葉が多く使われているためR18指定となりました(監督と脚本家が全英映像等級審査機構に抗議したそうです)。実際、”f***” と言う単語がほとんどのセリフについてるのかと感じるほど多用され、他にも “c*nt”など、要注意用語が頻出します。
またもう1点、本作は英語がそこまで分からない人でも気づくほど、強いスコットランド訛りの英語が使われています。あまりにも強い訛りで英語ネイティブにも難解だったため、欧米で発売されたDVDには英語字幕がついたそうです。
陥りがちな勘違い
では原音にこういった強い特色がある場合、字幕はどうなっているのでしょうか。
まずは刑務所にいる母親に、リアムが母親の恋人スタンと一緒に面会に来たシーンの会話です。リアムはスタンの指示で歯の裏にドラッグを仕込まされ、それをキスするふりして母親に渡すように言われていますが、渡したくないリアムは抵抗します。
スタン: Kiss your f***ing mother. | スタン: さっさとキスしろ |
リアム: See you later, Mum. | リアム: 僕は行く |
母: Liam, please, don’t. | 母: リアム、やめて… |
スタン: Listen, by Christ… | スタン: いいか よく聞け |
スタン: see, if you don’t kiss your mother goodbye, you little c*nt, | スタン: さよならのキスをしろ |
スタン: I’m gonna boot your f***ing arse all the way to f***ing Greenock. | スタン: 無事に家に帰りたくないのか |
スタン: Now kiss your f***ing mother, you little c*nt! | スタン: さっさとキスするんだ! |
かなりの数のbad languageが入っていますが。字幕にはそこまで訳されていません。
次は母親と暮らす家を買うため、ドラッグの売買という危ない橋を渡ろうとするリアムと、それに反対する親友ピンボールの言い争いです。
リアム: I could lose the f***ing caravan. | リアム: 家を買うためだ |
ピンボール: F*** your caravan! | ピンボール: 家なんか諦めろ |
リアム: Know what? | リアム: もういい |
リアム: F*** you. I’ll do it myself. | リアム: 俺一人でやるさ |
ピンボール: F*** you. I’ll do it myself. | ピンボール: やってみろ |
リアム: F*** you, you prick. | リアム: やってやるさ 腰抜けめ |
ピンボール: You’ll f***ing never do it. F***ing nutcase. | ピンボール: お前にやれっこないさ |
原音でこれだけf-wordが使われ、語気も荒いシーンですが、ここでも字幕では罵り言葉は「腰抜け」くらいであまり使われず、「!」さえ使われていないのが分かります。またきついスコットランド訛りについても、もちろん字幕に反映することはできません。
ですが2人が声を荒げて罵倒しあう険悪な雰囲気や、貧困という問題を抱えた地方都市ならではの閉塞感や殺伐とした空気は、演技や映像から十分伝わります。
何が言いたいかというと、字幕に過剰な演出は必要ない、ということです。
翻訳を始めたすぐの頃にやりがちですが、字幕にすべてを詰め込もうとすることがあります。ですが字幕の役割はあくまでストーリーを理解する手助けをすること。セリフのポイントの意味を的確に抽出して字幕にしておけば、視聴者はその言葉だけを受け取るのではなく、そこに俳優の演技が乗り、声の大きさが乗り、映像や音楽が乗ってきます。なので受け取る時にはきちんとオリジナルの意味が伝わっているのです。
大事なのは映画の物語を伝えること
そもそも日本語には罵倒する言葉のバリエーションが少ないと言われます。本作でよく目にしたのは「クソ」「クソったれ」「バカ」「間抜け」「腰抜け」辺りでしょうか。欧米の言語ではそういう表現が豊富なので日本語に訳す際に困る、ということはよくあります。
ただそれは日本が罵り言葉を多用しない文化ということなので、そこに無理に強い罵り言葉の訳語を当ててしまうと、日本語としては必要以上にキツくなってしまう場合もあります。
逆に本作が本国でR18指定を受けた時、「英国北部ではこういった言葉遣いは割と日常的に使われるので、そこまでアグレッシブな意味を持たない」という反対意見もあったそうです。そういったバランスを考えると、単語を忠実に訳すだけではなく、その単語が作品内でどの程度の意味や強さを持つか、ということも考えて訳出する必要があるなと思います。
いずれにしても大事なのは映画の物語を伝えることであり、そのための字幕の役割というものがあるな、と本作を見直して改めて思いました。字幕だけでなく、映像も音楽も景色も演技もすべてが一体化してリアルな物語がヒリヒリ伝わってくる感覚を、ぜひ味わってみてもらえたらと思います。
【執筆者】
梶尾佳子(かじお・けいこ)
フリーランスの字幕ディレクター兼ライター。日本語版制作会社の字幕部にて6年勤務した後、独立してフリーランスに。翻訳を含め、言葉を扱う仕事に関する様々な情報や考えを発信していけたらと思っています。
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