『カサブランカ』(1942年)
そこは自由を求める人々、最後の拠り所。運命が交差する場所。ナチスに追われるレジスタンスの指導者ラズロ(ポール・ヘンリード)は、カサブランカで酒場を経営するリック(ハンフリー・ボガート)を頼って店に現れる。リックはシニカルな性格のアメリカ人で、他人の面倒ごとには首を突っ込みたがらない。ましてや、ビクターの妻がかつて彼が愛してやまなかった女性イルザ(イングリッド・バーグマン)であるなら、なおのことだった。苦悩するイルザは、自らの身と引き換えにラズロを亡命させてくれるよう懇願する。愛する女性と多くの命への責任を背負い、重大な選択を迫られるリック - 運命の時は刻一刻と近づいていた…。(公式Blu-rayより)
2024年も終盤ですね。2025年の始めにvShareR SUBでは、多くのベテラン翻訳者さんたちにご協力いただいて大型イベント「vShareR映像翻訳祭2025」を開催することになりました。イベントのテーマは、映像翻訳の「いま」と「これから」。今回はそのテーマをちょっと意識して、昔のレジェンド字幕からどんなことが学べるか?ということで、クラシックの名作『カサブランカ』を取り上げてみたいと思います。
「君の瞳に乾杯」(Here’s looking at you, kid)を筆頭に名言の多い本作ですが、この名訳を生み出したのは劇場版字幕を翻訳した高瀬鎮夫さん。DVD版は岡枝慎二さんが担当されました。今回はDVD版字幕を視聴しています。
クラシック映画というと情報量はさほど多くなく、セリフもシンプルでゆったりと読めるイメージですが、改めて見直してみると俳優たちのしゃべり方が早いせいか、意外とセリフ量がありました。特に主人公のリックはなかなかの早口です。そんな彼らのボリュームのあるセリフを、岡枝さんはどんな風に調整して翻訳していたのかということを中心に見ていきたいと思います。
イメージをより明確にする言葉選び
第二次世界大戦の戦時下、アメリカに渡るビザを求めてカサブランカにやってきたお金のない新婚の若夫婦。署長のルノーは代金なしでビザを発給する代わりに若妻に関係を迫ります。若妻に相談された主人公のリックは彼女の夫をこっそり賭博で勝たせ、ビザの代金をつくって若夫婦を助けるのですが、そのあとのルノー署長とリックのやりとりです。
ルノー署長: Why do you interfere with my little romances? | 邪魔しおって |
リック: Put it down as a gesture to love. | 純愛の勝利さ |
リックのセリフは的を射た意訳でコンパクトにまとまっていますが、特に注目したいのが「愛」ではなく「純愛」という表現になっているところ。若夫婦の夫は妻のために賭博で何とかお金を作ろうとし、妻はそれでも負けてる夫のために自分が犠牲になることまで考えた愛はまさに「純愛」です。
ここは単に「愛の勝利さ」でも話は流れるのですが、そこに一味プラスして「純愛」とすることで若い二人の一生懸命な愛にイメージが直結します。おかげで誰の愛の話なのか迷うことなく理解できるうえに、短くても情緒あふれるセリフになっています。
日本語のふくらませ方
字幕は常に文字を減らすことを考える作業ですが、原音はシンプルだけど尺がそこそこあるセリフなど、字幕の文字を増やす必要が出てくるケースもあります。
これは冒頭のナレーションで、当時のカサブランカの状況を説明する字幕です。他国に脱出するビザを求めてカサブランカに来たものの、そこから出られずに長い日々を暮らす人々を描写しています。
ナレーション: But the others wait in Casablanca. | だが多くは カサブランカで── |
And wait and wait and wait. | 待って待って 待ち暮らすだけだった |
2つ目の字幕の原音の意味は基本的にwaitのみ。ただゆっくりと繰り返してるので尺は長めです。かといって、原音ではwaitという意味しか言っていないのに尺に合わせるために変に情報を足したり作ったりすると、原音と字幕の情報量のバランスが悪くなってしまいます。
この字幕では原音と同じリズムで言葉を繰り返して、同じように「待つ」という意味だけ訳出していますが、最後を「待ち暮らす」という小説や詩の一節のようにイメージがふくらむ表現で締めることで、ぐっと物語の雰囲気を高めています。もちろん尺が余る感じもなく、文字数的にも違和感がありません。
セリフ全体を俯瞰でとらえる
最後は有名なこちらのセリフです。ラストシーン、飛行場に来たリックは、自分はカサブランカに残るから夫と脱出するようにイルザに言います。「じゃあ私たち(イルザとリックの愛)はどうなるのか」と問いかけるイルザに対し、リックが言ったセリフです。
We’ll always have Paris. We didn’t have. We’d lost it until you came to Casablanca. | 幸せだったパリの 思い出があるさ |
We got it back last night. | 昨日 思い出したよ |
1つ目の直訳は「おれたちにはいつだってパリがある。一度は無くして、君がカサブランカに来るまで失っていた」といった感じでしょうか。ですが主に訳出されているのはWe’ll always have Paris.の部分のみ。さらに“Paris”を「幸せだったパリの思い出」とイメージしやすい言葉でふくらませることで、この名言と言われるセリフになっています。
実際、2つ目の「昨日思い出したよ」とつなげて読むと、1つ目の原音の後半「We didn’t have. We’d lost it until you came to Casablanca.」の内容は、言葉で出さなくても自然と想像でカバーできますよね。1文1文にとらわれずセリフ全体を俯瞰でとらえ、そのコアな部分を表すのに必要な言葉だけをいさぎよく選んでアウトプットされているので、とても伝わりやすくなっています。
クラシック映画の字幕はドラマチック
こうして見てみると、字幕を簡潔にするといっても単に情報をカットしたりつなぎ合わせたりしているだけではないことが分かります。セリフの真意をとらえて、さらに前後のストーリーや雰囲気を補足する言葉を足すことで、こういうドラマチックなセリフの数々が生まれたのだなと思います。
翻訳も時代によって変わります。ただやり方は少し異なったとしても、昔の作品の字幕からさまざまなパターンを学ぶことで、翻訳のバリエーションはさらに広がるのではないでしょうか。
【執筆者】
梶尾佳子(かじお・けいこ)
フリーランスの字幕ディレクター兼ライター。日本語版制作会社の字幕部にて6年勤務した後、独立してフリーランスに。翻訳を含め、言葉を扱う仕事に関する様々な情報や考えを発信していけたらと思っています。
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