『ノッティングヒルの恋人』(1999年)
有名ハリウッド女優と平凡な男の恋の行方を、ユーモアたっぷりに描く。華やかなハリウッド女優を演じるロバーツと、どこか頼りない青年に扮したグラントがハマリ役。ウェストロンドンにある平凡な街“ノッティングヒル”。そこで小さな本屋を経営するウィリアムの店に、ある日偶然ハリウッドスターのアナ・スコットが訪れる。互いに運命を感じた2人は、やがて恋に落ちるが……。(公式Blu-rayより)
今回取り上げるのはラブコメディの『ノッティング・ヒルの恋人』。ハリウッドスターと一般人のラブストーリーという王道の物語ですが、その展開やセリフのひとつひとつが丁寧に描かれていて、公開から25年たった今見ても色あせない素敵な作品です。主演はヒュー・グラントとジュリア・ロバーツ。
この作品の見どころのひとつは、なんといっても「美しい女性を前にしてどうしていいか分からなくなる男性」をヒュー・グラントが大変魅力的に演じているところだと思います。ただ主人公のウィルは単に美しい女性に舞い上がってるだけではなく、大スターのアナを常に女性として人として、敬意をもって接しています。
もう何度見たか分からない本作ですが、何度見ても物語に没入してしまう理由はそのセリフによるところも大きいと思うので、そんな彼の気持ちを表す会話の数々を、字幕とともに見ていきたいと思います。
視聴したのは2000年にポニーキャニオンから発売されたDVD版で、日本語字幕は松浦美奈さんが担当しています。
変化していく“fabulous”
舞台はロンドンのノッティング・ヒル。物語は、有名女優であるアナ・スコットに対するウィルのこんなモノローグから始まります。
Of course, I’ve seen her films and always thought she was, | 彼女の映画は見たことあるし── |
well, fabulous − | 美人だけど── |
but, you know, million miles from the world I live in. | 僕とは住む世界が 違いすぎる |
fabulousは「すごい」「すばらしい」「信じられないほどの」といった意味の形容詞ですが、ここでは一般論としての「美人だ」となっています。アナと知り合う前なので、まだ別世界の人と思っている印象ですね。
その直後、偶然にもノッティングヒルの街角でアナと知り合い、なぜかキスをされたウィル。信じられないことが起きたその日の夜、何も知らない同居人のスパイクと一緒に、アナが主演している映画を見ながらこんな会話をします。
スパイク: Imagine − | うらやましい |
somewhere in the world there’s a man who’s allowed to kiss her. | 彼女とキスする男がいるんだぜ |
ウィル: Yes, she is | そうだな… |
fairly fabulous. | 夢のような女だ |
この「女」と書いて「ひと」と読ませるのは常用的な読み方ではなくいわゆる当て字なので、今では字幕ではあまり使われない表記かと思います。ただ「女」を「おんな」と読ませず、かといって単に「人」としないこの表記は、その女性に対する敬意が感じられるような、その女性を見る男性のまなざしが想像できるような表記のように感じます。この漢字と読み方の組み合わせで印象が変わるというのは、日本語独特のものですね。
そして後日、流れから記者のふりをしてアナにインタビューすることになったウィル。インタビューの後、アナに再会できた現実をかみしめつつ、他の記者にアナのことを聞かれてこう答えます。
記者: How was she? | 彼女 どうだった? |
ウィル: Fabulous. | 女神だよ |
3つのシーンではすべてfabulousという単語が使われていますが、状況も言い方もすべて違います。字幕もそれに合わせた言葉を選ぶことで、ウィルにとってアナという存在がどんどん大きくなっているのが伝わります。
そもそもfabulousは「すごい、すばらしい」と訳されることが多いですが、改めて辞書で意味を調べると、①すばらしい(very good; excellent)、②非常に大きい(great in size or amount)、③伝説上の(imaginary, not existing in real life)、と幅広い意味があります。それを踏まえて、日本語にした場合のニュアンスをシーンに合わせてプラスすることで、セリフの印象はとても違ってくると思います。
また、3つ目で「女神」という言葉が使われているのは、物語の後半にウィルが友人のマックスから言われるこんなセリフがあるからかもしれません。
マックス: Anna’s a goddess | アナは… 女神だよ |
and you know what happens to mortals who get involved with the gods. | 神に恋した人間の末路は? |
キーとなるセリフの説得力
終盤、久しぶりにイギリスに戻って来たアナに改めて「付き合いたい」と言われたウィルは、これまで自分が傷ついてきたことを考えてその申し出を断ります。そのことを友人たちに相談し、ほとんどの友人が「正しい決断だ、女優と付き合うなんてやめたほうがいい」と言う中、モテない友人のバーニーはこう言います。
バーニー: But she said she wanted to go out with you? | お前と付き合いたいって? |
ウィル: Yes − sort of… | ああ |
バーニー: That’s nice. | ステキだよ |
ウィル: What? | 何で? |
バーニー: Well, you know, | だって そうだろ? |
anybody saying they want to go out with you is… pretty great, isn’t it? | 相手が誰であれ そう言ってくれるなんて |
最後のanybody saying they want to~のセリフで、ウィルは「有名女優」からではなくシンプルに1人の女性から愛を告白されたんだ、断ったのは間違いだった、とウィルや友人たちは気づきます。
このセリフは英語からしたらやや丁寧すぎるくらいの「言ってくれる」という日本語らしい言い回しになっていますが、ここまで「彼女いない歴が長くて惨めだ」と自虐的なことを言っていたバーニーの発言と考えるとこれがぴったりハマり、日本語としてもストンと腑に落ちる表現になっています。
このセリフで登場人物たちだけでなく視聴者をも「確かに!」と納得させ、物語は一気に全員でアナを追いかけるクライマックスへと盛り上がります。全体の流れの中で需要な役割を担っているセリフとして、すばらしく説得力のある字幕だなと思います。
セリフの意味を全体の中で捉える
翻訳しているとどうしても目の前の英語にとらわれてしまいまいがちですが、その英語一言一言の意味をストーリー全体の流れの中で捉えて訳出することで、より物語を伝えられる字幕になるのだなと感じます。
字幕翻訳とは英語力と日本語力、そして物語そのものの読解力のすべてが必要とされる、改めて大変な作業だなと思いますが、それらがすべて揃うと本作のような、見ていてずっと1本の波に乗っているような心地よい字幕が生まれるのだと思います。
【執筆者】
梶尾佳子(かじお・けいこ)
フリーランスの字幕ディレクター兼ライター。日本語版制作会社の字幕部にて6年勤務した後、独立してフリーランスに。翻訳を含め、言葉を扱う仕事に関する様々な情報や考えを発信していけたらと思っています。
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