『ビフォア・サンセット』(2004年)
忘れられない人との再会という誰もが共感を覚える普遍的なテーマ。イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー、監督リチャード・リンクレイターが再び贈る、ロマンティックなラブ・ストーリー。9年前、ユーロトレインの車内で出会い、ウィーンで一夜だけを共に過ごしたジェシーとセリーヌ。別れの時に約束した半年後の再会を果たせないまま9年の月日が流れ、ふたりはパリで運命の再会をする。しかし、ふたりが一緒に過ごせるのは、夕刻までの限られた時間。人生について、恋愛について、セックスについて…。9年前の恋の結末を確かめたい気持ちとは裏腹に、とりとめない会話を重ねるふたりにタイムリミットは刻一刻と迫っていく…。(公式Blu-rayより)
恋愛映画の金字塔ともいわれるリチャード・リンクレイター監督による「ビフォア」シリーズ。『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』『ビフォア・サンセット』『ビフォア・ミッドナイト』の三部作ですが、今回取り上げるのはその2作目『ビフォア・サンセット』(2004年)です。字幕翻訳は伊原奈津子さん。パリの風景の中で、粋なセリフたちがまるで美しい音楽のように流れる会話劇です。
とにかくセリフ量が多い作品
この作品の一番の特徴は主人公のジェシーとセリーヌの会話のみで物語が成り立っているところ。しかも最初から最後までしゃべりっぱなしのうえ、なかなかの早口。翻訳前に通して見たら、そのセリフ量の多さに軽く気持ちがくじけてしまうかもしれません(ご興味ある方は一度英語字幕で見てみてください。会話のボリュームに圧倒されます)。
ですが日本語字幕で見た時、言葉が詰め込んであるという印象もなく、読むのが忙しいわけでもなく、かといって情報がかなり省かれてるという印象もありません。では文字数を減らすための大胆な意訳が多いのかなと思い改めて英語と比べて見てみましたが、そうでもなさそうです。ただ至る所に素敵だなと思えるさりげない「言い換え」があったので、それを少しご紹介したいと思います。
セリフの意図を捉えた言葉を選ぶ
まずはお互い会えなかった9年の間の出来事を語り合い、ジェシーが今の自分の結婚生活に問題があるのは相手の問題ではない、とセリーヌに言うセリフです。
I mean, that nobody is gonna be everything to you, | 誰としても不満は残る |
字幕:誰としても不満は残る
直訳でも意味は分かりますが、イマイチすっきりしないうえ文字数も多くなります。英語としてはおそらくnobodyで始まるキレのいい文章なのだと思いますが、日本語的には逆からとらえた形にしてしまったほうが、同じようなキレのいい文になる印象です。
次は、それでも今の状態に満たされない思いがあることを語るジェシーのセリフです。
But we’re just living in a pretense of a marriage responsibility, | でも僕たちは 義理で結婚生活を送り── |
and all this…just… ideas of how people are supposed to live. | 道理から外れまいと もがいてる |
字幕:道理
「how people are supposed to live/人々がどう生きるべきか」ということを表す単語はいくつか選択肢があるかと思いますが、結婚生活になぞらえるとまさに「道理」と言う言葉がビシッとはまります。文字数も大幅に短縮されて、とても洗練された印象になっています。
次は、自分は今までうまく人間関係を築くことができなかったけど、だからといってジェシーにもそうなってほしいというわけではない、というセリーヌのセリフです。
It’s not because I’m incapable of having a good relationship or a family | 自分はいい人間関係が築けなくても── |
that I wish everyone to be doomed like me. | 他人の孤独は望んでない |
字幕:他人の孤独は望んでない
この直前の会話で、セリーヌはこの9年、誰といても運命の相手と思えたことがなかったと分かります。それを踏まえて「すべての人が自分と同じように絶望すること」を「他人の孤独」と具体的にかつ凝縮して出すことで、セリフの意図を端的に伝えています。
視聴者に気づかせない「さりげなさ」
上に挙げたどの字幕も、原音の文章全体と比べると、一見まったく同じことを言っているようにも感じるのですが、よく見るとやはり直訳とは違って、日本語としてスッと頭に入ってくる表現になっているのが分かります。
本作はよく「二人の会話にとてもリアリティがある」と言われます。ただ原音でリアリティがあってもそれを日本語でも同じような印象で捉えてもらうためには、日本語としてもリアルに伝わる表現になっている必要があります。それにはこういう「明らかな意訳でもないけど、直訳でもない、いい塩梅の訳」が、実は原文のリアリティをそのまま日本語に置き換えるうえで一番重要なのではないかと思います。
どの字幕も、先に字幕を見てから英語の原文を見ると、「確かにこの英語を日本語にするとこうだよね」と思ってしまいますが、もし先に英語だけを見てたらこの日本語が簡単に思い浮かぶでしょうか。これらの言い換えがしっかりとセリフの芯を捉えてるからこそ、原文と照らし合わせても違和感がなく、一見同じような印象になるのだと思います。そしてこういう自然な言い換えを視聴者に気づかせない「さりげなさ」こそが、プロの技なんだなと思います。
【執筆者】
梶尾佳子(かじお・けいこ)
フリーランスの字幕ディレクター兼ライター。日本語版制作会社の字幕部にて6年勤務した後、独立してフリーランスに。翻訳を含め、言葉を扱う仕事に関する様々な情報や考えを発信していけたらと思っています。
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