私の「字幕翻訳者たちとの思い出」シリーズも、最終回を迎えることになりました。
手元の資料を見てみると、私がワーナーの製作を担当していた31年間に、劇場版の映像翻訳をお願いした方は、吹替版も含めて42人の多きにわたりました(ワーナー以外のメジャーの映画会社では、手堅くほんの数人のベテランにお願いしていた時代にです)。それに加え、将来の劇場版翻訳への“昇格”を期して、ビデオ翻訳をお願いしていた方は21人いました。合わせて60人を超える翻訳者に、チャンスを差し上げていたことになります。このシリーズでは、その中の約3分の1の方々を取り上げて、私の良き思い出をお分かちしたわけです。
シリーズを閉じるに当たり、「誰か大事な人を忘れちゃいませんか?」ではありませんが、最後を飾るのはやはりこの人にと私が当初から決めていたのは、進藤光太さんです。業界では、「こうたさん」と呼ばれていましたが、本当の呼び名は「みつたさん」です。
進藤光太さん *『字幕に愛を込めて』記載
字幕翻訳を手がけた主な作品に、ワーナー・ブラザースでは『アフター・アワーズ』『サマー・ナイト』『ブロードウェイのダニー・ローズ』『男と女II』『ジェニファーの恋愛同盟』『デイヴィッド・バーンのトゥルー・ストーリー』『ハンナとその姉妹』『セプテンバー』『ラジオ・デイズ』『危険な関係』『グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー』『ウディ・アレンの重罪と軽罪』『アリス』『ネバーエンディング・ストーリー 第2章』『ドクター』『羊たちの沈黙』『リトル・マーメイド*』(吹替版も)『JFK*』『サウス・セントラル』『沈黙の戦艦』『フリー・ウィリー』『天と地』『めぐり逢い』『暴走特急』。他社作品では、『トゥームストーン』『かぼちゃ大王』(伊)『永遠の愛に生きて』『母の贈りもの』『モアイの謎』『私に近い6人の他人』『鯨の中のジョナ』(英、独)『ニクソン』『フィオナの海』『ケンタッキー・フライド・ムービー』『ブルックリン』『顔のない天使』『黒豹のバラード』『ポリス・ストーリー』(1〜3)『ロレンツォのオイル 命の詩』『二十日鼠と人間』『トイ・ソルジャー』『ジェイコブス・ラダー』『奇蹟 ミラクル』『白く渇いた季節』『リバイアサン』『クロコダイル・ダンディー』(1、2)『ツインズ』『ランボー』(1〜3)『レッド・スコルピオン』『ラストエンペラー』『エンゼル・ハート』『男たちの挽歌』(1〜3)『存在の耐えられない軽さ』『八月の鯨』『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』『西太后』『ホテル・ニューハンプシャー』『紳士協定』など他多数。
テレビ翻訳業界から劇場版翻訳の世界へ
以前にもお話しましたが、映像翻訳は、テレビ業界と劇場業界に棲み分けされていました。進藤さんは、日本でテレビ放送が開始され、外国映画の放映が全盛期を迎えた1960年代から、その字幕版・吹替版翻訳者として、大活躍していた、その道30年のベテランでした(ちなみにテレビ映画の吹替翻訳では、木原たけしさんも活躍なさっていましたが、この棲み分けのため劇場版でお願いするチャンスはありませんでした。かなり後になって、かの『風と共に去りぬ』をWHV(ワーナー・ホーム・ビデオ)で再発売することになり、その吹替版で、やっとお世話になることができました)。
そんな中で、私は進藤さんの翻訳力の高さに早くから目を留め、是非一度ワーナー作品をお願いしてみようと思っていたのです。それは、これまでこのシリーズで何人かご紹介してきたビデオ翻訳から劇場翻訳への抜擢ではなく、テレビ翻訳から劇場翻訳への、“縄張り”を破っての抜擢でした。
その機会は、1986年公開、マーティン・スコセッシが同年のカンヌ国際映画祭監督賞を受賞した『アフター・アワーズ』で訪れ、氏とのお付き合いは、遺作となった『暴走特急』までの24作品、ちょうど10年に及びました。
氏は前述のようにテレビ翻訳で十分に実力を発揮しておられたので、ワーナー作品も、最初から話題作、大作、名作をお願いし、氏は私の期待に見事に応えてくれました。
ジャンルを選ばない卓越した日本語力
ワーナーでお願いした24作品の中で、氏の日本語力がいかんなく発揮されたのは、早口で翻訳者泣かせのウディー・アレンが監督・主演した一連の作品群です。『サマー・ナイト』『ブロードウェイのダニー・ローズ』『カイロの紫のバラ』『ラジオ・デイズ』『ハンナとその姉妹』『セプテンバー』『アリス』『ウディ・アレンの重罪と軽罪』の8作品です。
普通人のほとんど倍の速さでしゃべりまくるウディーの英語を、限られた字数にピタリと収める氏の卓越した日本語力は、のちに、ケヴィン・コスナーが延々30分も法廷で熱弁を振るう『JFK』でも、十分に発揮されました。
その他の作品タイトルを見ても、私が氏のジャンルを選ばない翻訳力を存分に引き出そうとしたことが、今更ながらよく分かると思います。フランソワーズ・トリュフォーの、あの「♪ダバダバダ」で知られる『男と女II』、3度目のリメイクになる、ウォーレン・ベイティー、アネット・ベニング主演(二人は実際のご夫婦です)の悲しくも美しい大人のラブドラマ『めぐり逢い』があり、アニメーション『リトル・マーメイド』、『ネバ―エンディング・ストーリー 第2章』、イルカを主人公にした『フリー・ウィリー』などの楽しいファミリードラマがあり、アンソニー・ホプキンズ扮するレクター博士がジョディー・フォスターのFBI訓練生に迫るホラー・サスペンスの『羊たちの沈黙』があり、『JFK』『天と地』などのシリアスな社会派ドラマがあり、『沈黙の戦艦』とその続編である『暴走特急』などのアクションもありました。
他社作品でも、今も話題に上る数々の大作・名作が名を連ねていることからも、氏の翻訳力のすばらしさは、十分にうかがわれるところです。今回はその中から、2作品を取り上げて氏を偲びたいと思います。
『リトル・マーメイド』ではお得意の吹替版も
ワーナーの長い歴史の中で、たった2年間だけでしたが、ディズニー映画を配給するチャンスがやってきました。その2年間のディズニー映画公開作品の中に、1991年公開、有名なアンデルセンの童話「人魚姫」が原作のアニメーション『リトル・マーメイド』がありました(ちなみにこの作品は、32年後の今年、2023年に実写版が公開されることで、話題になっています)。
進藤さんはこの作品の字幕版、吹替版の両方をやってくださいました。吹替版も、氏にはお手のものだったわけです。両版とも、期待にたがわない、実にこなれた日本語の、分かりやすい翻訳でした。この作品の吹替版製作の苦労話は、『字幕に愛を込めて』にも書かせていただきましたが、約1か月かけた収録の間、進藤さんとご一緒させていただき、いろいろなお話も伺うことができ、良き思い出となりました。
『JFK』で死ぬほどの苦しい目に遭う
この映画が劇場公開されたのは、1992年3月でした。監督はオリヴァー・ストーン、主役ジム・ギャリソンにケヴィン・コスナー。進藤さんは、丁寧でこなれた訳は定評がありましたが、この映画の公開の頃は、もうかなりのお年であったこともあり、仕事のペースはゆっくりめになっていました。
そんな中、『JFK』の翻訳用素材が日本に来たのは公開前年1991年の11月末で、それもビデオ素材も含め不完全版が出来上がった巻から次々に送られてくる状態でした。しかも、3時間を超える法廷物とあって、上映時間もセリフの数も、普通作品の倍近くという難物。
それを、正月休みに入る前の約1か月で字幕版初号(最初の上映用フィルム)を仕上げ、マスコミ関係の広告宣伝の仕込みに間に合わせるという、かなり厳しいスケジュールの中で、あえて“丁寧派”の氏を選んだのには、私自身の氏の翻訳への高い評価と共に、ある小さなエピソードがありました。
『JFK』の4年前、1988年に公開されたワーナー映画『さよならゲーム』の中で、ケネディー暗殺のニュースを伝えるシーンがあり、その「BOOK DEPOSITORY」の字幕が「図書館」と訳されていたのを、進藤さんが「あれは“教科書ビル”ですよ」と教えてくださったのです。その時以来、私は氏がケネディーに詳しいとにらんで、機会があれぱと思っていました。
その好機が、4年後の『JFK』で巡ってきたわけです。氏はワーナー近くのビジネスホテルに立てこもり、3000を超えるセリフを100単位ぐらいずつできたものからワーナーに届けて私の監修を受けるというスタイルで、なんとかやり遂げたのです。
もともと色白の方でしたが、完成した時には、顔どころか息まで青い“青息吐息”、まさに氏にとっては「魔の1か月」でした。完成試写会を終えた時、氏はひと言ボヤいたものです。「口は災いのもと。あのひと言が余計でした」と──(余談ながら、この作品の4年後1996年公開の他社作品『ニクソン』は、監督オリヴァー・ストーンが『JFK』に続いて作ったアメリカの大統領の伝記映画2部作目です。それを知る担当者の方は、この映画の字幕翻訳には、迷わず進藤さんを選んだことでしょう)。
この映画で進藤さんが訳した3000を超えるセリフの中で、飛び切りの名訳どれか1つ選べと言われたら、私は躊躇なく「愛が足りなかった」を挙げます。これは、ケヴィン・コスナー扮する主人公の地方検事ジム・ギャリソンが、テレビで大統領の弟ロバート・ケネディーの暗殺を知り、妻の寝ている寝室に入り、彼女に言った言葉で、英語ではこれです。
For the first time, I feel really scared. I wish I could’ve loved you more…. I’m sorry.
原意は、「生まれて初めて、僕は心底怖くなったよ。もっと君を愛していればよかったのに。…すまない」ですが、この後半を、氏は「愛が足りなかった」と訳したのでした。私自身、私生活でも時折口にしては反省している、けだし名訳です。
惜しまれた人、進藤光太さん
『アフター・アワーズ』で初めてお会いした進藤さんは、業界での名声などおくびにも出さない、腰の低い方で、その穏やかな物腰と話し方は、最後まで変わりませんでした。
1996年の『暴走特急』が遺作となり、氏はその年の秋、病で帰らぬ人となりました。私はお手紙で、奥様に心からの弔意と謝意を伝え、奥様からも、丁重な感謝のご返事をいただきました。お元気であれば、もっともっと氏の名翻訳になるタイトルが、ワーナー公開作品群を飾ったことでしょう。
よく、「翻訳者の中で誰が一番うまいだろう」という話になることがありました。このシリーズでも取り上げた、高瀬鎮夫さん、戸田奈津子さん、松浦美奈さん、当社ではついにチャンスのなかった清水俊二さん……とお名前が挙がります。“一番”というのは多分に主観的で、使いたくありませんが、31年間に、60人を超える翻訳者の方々の日本語訳を見せていただいた私が、あえて「やっぱり、進藤さんの日本語は、一番うまかったな」と言っても、反対なさる方はさほどいないのではないかと思います。
このような多くの日本語のプロたちと、良いお仕事を共にさせていただいたことを、改めて神様に、またご本人たちに感謝して、このシリーズをひとまず終えたいと思います。ご愛読いただき、ありがとうございました。
【執筆者】
元ワーナー・ブラザース映画製作室長
小川 政弘(おがわ・まさひろ)
1961年〜2008年、ワーナー・ブラザース映画会社在職。製作総支配人、総務部長兼任を経て製作室長として定年退職。在職中、後半の31年にわたって2000本を超える字幕・吹替版製作に従事。『ハリー・ポッター』『マトリックス』『リーサル・ウェポン』シリーズ、『JFK』『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』二部作等を監修。自身も『偉大な生涯の物語』『ソロモンとシバの女王』『イングリッシュ・ペイシェント』『老人と海』などの作品を字幕翻訳。著書に『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』(イーグレープ)、『字幕翻訳虎の巻 聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい』(いのちのことば社)、『60歳を過ぎたら絶対観たい映画43』(産学社)などがある。