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【字幕翻訳者たちとの思い出】第17回 杉山緑さん 〜中学時代の夢をかなえた人〜

この記事は、書籍『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』の著者:小川政弘氏にその外伝として執筆いただきました。

連載第17回は、杉山緑さんです。

杉山緑さん  *『字幕に愛を込めて』記載
翻訳を手がけた主な作品に、ワーナー・ブラザースでは『ベガス・バケーション』、『ドッグ・ショウ!』、『パワーパフガールズ・ムービー』、『みんなのうた』、『理想の恋人.com』、『ゾディアック』など。他社作品では、『ザリガニの鳴くところ』、『トゥモロー・ウォー』、『戦場でワルツを』、『シリアの花嫁』、『スモーニング』、『愛と小さなつまさき』(ポルトガル)、『真夜中のダンサー』(フィリピン)、『戦士の刻印』、『ウィンター・ベイ』(スウェーデン)、『過越しの祭り』(ヘブライ)、『野良犬たち』(ノルウェー)、『Jam』(台湾・北京)、『私はピエロ』(ヒンディー)、『砂漠の方舟』(アラビア)、『サム・ガール』、『火』(ポルトガル)、『ザ・ミッション 非情の掟』(広東)、『ファットマン』、『悪魔の毒々モンスター 新世紀絶叫バトル』、『サラーム・シネマ』(ペルシャ)、『黒いシルク』(タイ)、『MUSA』(韓国)、『酔っぱらった馬の時間』(クルド、ペルシャ)、『セックス調査団』、『亀も空を飛ぶ』(ペルシャ)、『スティーヴィー』、『ダッグ・シーズン』(スペイン)、『ナンバー2』など他多数。

目次

万年少女のような明るいキャラ

杉山さんとのお付き合いは、10年ほどでした。彼女の印象は、いつでも明るく、はきはきしていて、話していても気持ちがいいことでした。初めて仕事をお願いした頃の彼女は30代半ば、そして私がワーナーを辞める頃は、40代半ばだったのですが、いつもトレードマークのように前髪を眉毛の辺りまで垂らして、「20代です」と言われても通用するような若さは10年たっても全く変わりませんでした。

「映画大好きの人は年を取らない」とよく聞きますが、私も含め、彼女も、そして映像翻訳者の多くにも、それは言えるのではと思います。やはり映画で夢を追い続け、映画で人生を学びつつ楽しんでいるからではないでしょうか。

中学2年で字幕の魅力にハマる

彼女は青山学院大学の文学部英米文科卒で、在学中に1年ほどアメリカのオレゴン大学に交換留学をなさったと聞きました。ネイティブの英語の世界に1年間身を置いたことは、やがて字幕翻訳者になってから、大いに役立ったことと思います。それと言うのも、私がいたワーナーなどアメリカのメジャー映画会社の作品は、台本もしっかりしたものができていますが、マイナーな会社、マイナーな作品になると、活字台本がないことが結構多く、そうなると翻訳者の“耳”(ヒアリング力)が頼りになるからです。

そのように、彼女が本格的に英語に触れたのは大学に入ってからですが、外国映画にあこがれたのは中学2年の時、あの今やレジェンドになっているSF映画「未知との遭遇」を観た時だったといいます。それも、映画のすばらしさよりも、何度も読める活字と違って目の前で次々に話されては消える英語が、リアルタイムの日本語で理解できる“字幕”というもののすばらしさに圧倒され、将来、この道に進みたいと思ったというのですから、まさに“字幕の申し子”のような少女だったわけです。

その話を知ったとき、私は自分自身と重ねて大いに親近感を持ちました。時代は20年ほど違いましたが、私もまた中学2年の時に、あの永遠の青春スター、ジェイムズ・ディーンの3本の映画、『エデンの東』『理由なき反抗』『ジャイアンツ』を観て、将来は絶対映画の世界で働こうと密かに決心し、実現できたからです。

映画会社や映像翻訳者として働くというのは、極めて“狭き門”です。どんなに英語の実力があっても、また必死にその道に入れるよう求めても、誰でもが入れるものではありません。二人とも、まことにラッキーだったと言うべきですが、クリスチャンの端くれの私としては、それは単なる幸運ではなく、背後に神様の大いなるみ手が働いていたとしみじみ思わされます。聖書の言葉(『新約聖書』マタイの福音書、5章冒頭)になぞらえて、少々ユーモラスに言わせていただけるなら、こうなるでしょうか。

「若き日の夢をかなえられた人は幸いです。その人は夢をいっぱい観られるからです」

「映画祭作品」翻訳という実戦でスキルを磨いた

冒頭の彼女の翻訳作品を見ると、元の原語の多彩さに気づかれるでしょう。本命の英語は言うに及ばず、ポルトガル語、フィリピン(タガログ)語、スウェーデン語、ヘブライ語、ノルウェー語、ヒンディー語、アラビア(ペルシャ)語、タイ語、クルド語、スペイン語…。これは、第12回で紹介した太田直子さんと同じ理由によります。そう、日本開催の映画祭に出品された世界各国の映画の、多くはたった1回しか上映されない作品のために、彼女は数多くの字幕を作ったのです。

彼女は自分の夢をかなえるために、大学を出ると、字幕翻訳者養成学校の存在を知り、早速入学して学んだのですが、そのあとが、彼女の「早く字幕翻訳がしたい!」という熱意に、まるで神様が答えてくれたような彼女のラッキーの“中身”です。

学びを始めてから、その学校の母体である制作会社に何か翻訳の仕事はないか事あるごとに尋ねていたのですが、数か月も立たないうちに、ある作品の下訳(本格的字幕翻訳の参考に用いるラフな翻訳。全ての作品にあるわけではありません)を頼まれました。その作品というのが、前述の、まともな台本もない作品で、「アメリカに1年いたなら、なんとか聴いて分かるでしょう」ということだったそうです。

こうして、彼女はその会社でアルバイトをすることになり、翻訳学校での学びはほんの数か月、あとは現場で翻訳しながら技能を磨いていくことになり、その格好の素材となったのが、映画祭作品だったというわけです。

ワーナーの“翻訳者スカウト”の小川に見つかった

自分で言うのははなはだおこがましいのですが、彼女の翻訳者デビューから約15年間の上記翻訳作品リストの中に、メジャー会社の作品は、ワーナーを除いて皆無であることにお気づきでしょうか。これはつまり、彼女がまだもっぱら映画祭作品で腕を磨いていた頃に、私が彼女の翻訳センスに目を留めて、メジャーデビューするきっかけを作ってあげたということです。

具体的なことは覚えていませんが、他の何人かのワーナー新人翻訳者と同じように、字幕制作会社のどなたかから、「腕のいい子がいるから、小川部長、一度使ってやってくれませんか」と頼まれたのだと思います。そしてワーナー・ホームビデオで何作かやらせてみて、私がその実力を認めて、1997年の『ベガス・バケーション』で彼女に劇場用映画のチャンスを差し上げたわけです。

前にも話しましたように、メジャー映画会社は、ごく限られた数人のベテラン翻訳者にお願いするのが普通でした。私がこういうことができたのは、それなりに会社内の経歴も地位も高かったこと、そしてホームビデオ、劇場双方の製作責任者であったので、このようなスタイルで、比較的リスクの少ない新人発掘システムを採用することができたことによります。

やがて私の告別式が行われる日が来て、翻訳者の方々がまだ私を覚えていて参列してくださったら、こんな思い出話の一つも出てきたら、スカウト冥利に尽きるというものです。「あの時、小川さんがワーナーにおられて、今の私がある。ラッキーでした」と――。

10年間でワーナー6作品に腕を振るう

前述の『ベガス・バケーション』は、チェビー・チェイス主演のコメディー、“バケーション”シリーズの4作目でした(ちなみに1作目の『クリスマス・バケーション』は私が翻訳しました)。これでまず彼女のユーモアセンスをしっかり確認しました。

これもすでに申しましたが、いい翻訳者の“資格”の一つは、ユーモアセンスです。文化の違う他国の言葉を、日本人に分からせ、笑ってもらうためには、まず映画に描かれたその国の文化を日本に置き換え、日本人の感性で笑わせる言葉のセンスと豊かな文化観が求められます。「翻訳という作業の7割はセリフの背後にある事象を正しく理解するための徹底した裏取りです」とおっしゃる彼女にすれば、当然のことだったかもしれません。

それに続く10年間で、私は彼女にこの作品も含め6本の映画のチャンスを差し上げました。それもできるだけジャンルの異なるものを。彼女の持っている翻訳のセンスを、できるだけ違った分野でも生かしたかったからです。

『ドッグ・ショウ!』は彼女の好きなワンちゃんがいっぱい出てくる、犬のコンペに懸ける人々の様々な人間模様を描いた映画でした。『パワーパフガールズ・ムービー』は、テレビアニメの劇場版で、博士の実験の失敗で偶然生まれた、超人パワーを持つブロッサム・バブルス・バターカップの3人娘が大活躍。『みんなのうた』は1960年代、アメリカを風靡したフォークミュージック・ブームを背景にしたコメディー。『理想の恋人.com』は、ダイアン・レイン、ジョン・キューザック、エリザベス・パーキンス、クリストファー・プラマーの美男美女出演陣をそろえたラブロマンス・ドラマ。どちらかというと男性っぽい映画が好きな杉山さんのキャラとはかなり違うジャンルでしたが、いとも甘く、楽しく訳してくれました。内心は訳しながら少々恥ずかしかったかもしれません。

そして、私がワーナーを去る日が近づきました。これも何度かお話ししましたように、お世話になった翻訳者に記念の代表作を一本、ということで、彼女には、退職前年の2007年、『ゾディアック』をやっていただきました。これについては、拙著『字幕に愛を込めて』から引用しましょう。その文章が、彼女がいかにこの作品を楽しんでくれたか、よく伝えていると思いますので。

これは、ワーナーが、パラマウント社と共同製作した、1960年代に実際にサンフランシスコで起こった連続殺人事件を基にしたサスペンス作品で、タイトルの「ゾディアック」とは、「十二宮一覧図」という昔の天体図で、犯人が自らを名乗った名前です。監督はデイヴィッド・フィンチャー、主演はサンフランシスコ・クロニクル紙の風刺漫画家ロバート・グレイスミスにジェイク・ジレンホール、同紙の敏腕記者ポール・エイヴリーにロバート・ダウニー・Jrが扮しました。第60回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品です。

私はこの手の作品は好きではないのですが、字幕翻訳には、杉山緑さんを起用しました。彼女は、2000を超える事件の謎に満ちたセリフを、ノリノリで訳してくれました。そして、「最高に楽しかった」と。思うに、字幕翻訳に、女性翻訳家向き、男性翻訳家向きというのは基本的にありませんね。要は、その人の感性に合うかどうか、ピタリ合うと、このように“ハマり役”ならぬ“ハマり訳”が生まれます。

エピローグ

彼女と知り合っていつだったか、私の旅行好きの話になり、ウイーンにも旅したことを話したことがありました。彼女が「ウイーンと言えば、ザッハトルテですね。食べました?」と。そしてその年のクリスマスから、私は退職するまで、彼女が贈ってくれるデメル社の正真正銘のチョコレートケーキ”ザッハトルテ”に、亡き先妻と二人、舌鼓を打てることになりました。また退職の時には、本当に美しいガラスの置き物を頂きました。 私のワーナー退職から早くも15年、その後もいっそうご活躍のことと思います。願わくはその間に、ワーナーだけでなく、他のメジャー作品でも言葉の感性を生かした良き仕事をなさっておられることを祈念しつつ──。

【執筆者】
元ワーナー・ブラザース映画製作室長
小川 政弘(おがわ・まさひろ)
1961年〜2008年、ワーナー・ブラザース映画会社在職。製作総支配人、総務部長兼任を経て製作室長として定年退職。在職中、後半の31年にわたって2000本を超える字幕・吹替版製作に従事。『ハリー・ポッター』『マトリックス』『リーサル・ウェポン』シリーズ、『JFK』『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』二部作等を監修。自身も『偉大な生涯の物語』『ソロモンとシバの女王』『イングリッシュ・ペイシェント』『老人と海』などの作品を字幕翻訳。著書に『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』(イーグレープ)、『字幕翻訳虎の巻 聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい』(いのちのことば社)などがある。

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