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【字幕翻訳者たちとの思い出】第15回 佐藤恵子さん 〜東北新社翻訳室の“顔”〜

この記事は、書籍『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』の著者:小川政弘氏にその外伝として執筆いただきました。

連載第15回は、佐藤恵子さんです。

佐藤恵子さん  『字幕に愛を込めて』記載
翻訳を手がけた主な作品に、ワーナー・ブラザースでは『タイムマシン』、『トロイ』(吹替版)、『ニューヨーク・ミニット』(ホームビデオ)、『スーパーマン リターンズ』(吹替版)、『父親たちの星条旗』(吹替版)、『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』、『オーシャンズ8』(字幕版、吹替版)、『マン・オブ・スティール』(字幕版、吹替版)など。他社作品では、『恐竜大行進』、『哀愁のメモワール』、『愛に囚われて』、『永遠の夢 ネス湖伝説』、『ビースト 獣の日』、『プライべ-ト・パーツ』、『ヘラクレス』(吹替版)、『ガタカ』、『ゴンゾ宇宙に帰る』、『ティガー・ムービー プーさんの贈りもの』、『センターステージ』、『サンタクロース・リターンズ! クリスマス危機一髪』(吹替版)、『ファインディング・ニモ』(吹替版)、『リロ・アンド・スティッチ』(吹替版)、『Mr.インクレディブル』(吹替版)、『サスペクト・ゼロ』、『マダガスカル』(吹替版)、『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』(吹替版)、『オープン・シーズン』(字幕版・吹替版)、『グッドナイト&グッドラック』、『さよなら、僕らの夏』、『ヘイブン 堕ちた楽園』、『ホワイト・プラネット』(仏)、『ミッドナイトムービー』、『リバティーン』、『ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪』、『プリセンス・ダイアナ』、『春のワルツ』(NHK BS2)、『コールドケース 迷宮事件簿』(WOWOW)、他多数。

目次

ワーナー作品に東北新社子飼いの翻訳者登場

今回ご紹介する翻訳者、佐藤恵子さんは、これまでの翻訳者と違う点がひとつあります。それは、これまでは全て個人のフリーランサーだったのが、彼女は、映像制作では文句なしに日本を代表する大手プロダクション、株式会社東北新社の外画制作事業部翻訳室所属の翻訳者であるという点です(ちなみに東北新社は、海外映像の輸入から国内映像の製作、字幕・吹替版の制作、さらには翻訳者や声優養成まで、映像に関わる業務を一手に引き受けておられ、業界では略称で「新社さん」と言えば即、通じます)。

したがって、私からの翻訳依頼も、直接彼女に個人的にお願いするのではなく、東北新社翻訳室にお願いし、翻訳室で彼女を推薦し、私の同意を経て翻訳業務に当たるということになります。彼女は上智大学文学部英文科を卒業後、東北新社に入社し、字幕制作を経て翻訳室配属、筆者の知るだけでも十数人いる翻訳室の室長として活躍しておられ、上記の翻訳者養成機関として設立された映像テクノアカデミアで講師も務めておられます。

新社さんとワーナーの関わり

映画業界も、広くて狭い世界なので、どこかでお付き合いのある会社が結構あるのです。私が東北新社の名を知ったのは、私の直接の仕事ではなく、テレビ業務ででした。私のワーナー在職46年半のうち、最初の20年ぐらい、1980年代までは、社内にテレビ部がありました。『バットマン』や『スーパーマン』など、アメリカのテレビで放映されていたワーナーテレビ作品を輸入し、その字幕版や吹替版の制作を東北新社さんに依頼していたのです。

私が直接関わりを持つようになったのは、念願かなって製作部に配属になり、字幕と共に大作の吹替版制作に携わるようになって、その制作プロダクションの最大手である新社さんに仕事をお願いするようになってからです。拙著『字幕に愛を込めて』にも書きましたが、かのスタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』の吹き替え版を制作した時には、新社さんの技術的な助けを得て、散々苦労をしてやっと完璧主義者のキューブリックを満足させる吹替版が出来上がったのでした。

その間に新社さんが前述の映像テクノアカデミアを設立して翻訳者養成に乗り出し、その授業の一環として、アカデミアの要請で翻訳者に業務を依頼するクライアントの立場から私が特別講義をしたところ、好評を博すると共に、そこで新社の翻訳室の存在も知りました。その時に、「吹替版制作だけでなく、ワーナーさんの作品の字幕翻訳に、当社翻訳室の人間を一度使ってみてくれませんか?」と依頼を受けたのです。

当時私は劇場とホームビデオ両部門の日本語版制作の総責任者として、優秀な翻訳者もすでに20人以上確保していましたので、人材には困らなかったのですが、その後映像テクノで字幕講師として講壇に立つ機会も与えられたので、こちらも何とかその願いをかなえてあげようと思い、機会を狙っていました(ちなみにこの翻訳室で、映像テクノアカデミアを修了した優秀な教え子たちが、何人か良い仕事をしているのはうれしい限りです)。

『タイムマシン』でデビューチャンス到来

新社翻訳室が、何しろ相手は天下のワーナーですから、一押しで推薦してきたのが室長の佐藤恵子さんでした。しかし私は、「これは」と思う新人翻訳者にはまずビデオで実力を試し、行けそうなら劇場用に抜擢、というスタイルでやってきました。そこでまずはビデオ作品で彼女の十分な実力を知ってから、2002年、SF作品の『タイムマシン』で彼女に劇場用映画翻訳のデビューを飾ってもらうことにしました。

この作品は、ドリームワークス製作、原作はあのSF小説の元祖H.G.ウェルズ、監督がその末裔サイモン・ウェルズ、主演がガイ・ピアース、ジェレミー・アイアンズ。ピアース扮する1890年代のニューヨークの大学教授アレクサンダーは、ある日、婚約者のエマを暴漢に殺されるが、現実をどうしても受け入れられず、過去に遡ってエマを救い出したいとの一念で、ついにタイムマシンを発明し、80万年後の世界に飛び立つというストーリーの作品でした。

“人間にタイム(時間)操作ができたら……”というのは科学者たちの夢でしたが、科学用語満載のこの映画で、それを観客に理屈上で納得させるには、字幕の表現の分かりやすさがカギになります。佐藤さんは、私の期待に応えてそれを見事にやってのけました。これをきっかけに、私は4、5人の優秀な翻訳室メンバーに仕事を依頼するようになりましたが、中でも大作や吹替版には、翻訳室の推薦を待つまでもなくこちらから彼女にお願いすることにしました。『トロイ』や『スーパーマン リターンズ』がそうですが、ほどなく彼女の才能を存分に生かせる最高の作品が公開されることになりました。『父親たちの星条旗』です。

イーストウッドの『父親たちの星条旗』で吹替翻訳を担当

冒頭の作品一覧でもお分かりのように、彼女は字幕版だけでなく吹替版でも、分かりやすい翻訳センスをいかんなく発揮しています。彼女に吹替版翻訳が多いのは、新社さんが吹替版制作をしていることも理由のひとつでしょう。そんな彼女に、私は“大抜擢”でクリント・イーストウッドの「硫黄島二部作」のうち、吹替版を作ることになった『父親たちの星条旗』の吹替版翻訳をお願いすることにしました(字幕版のほうは2作とも戸田奈津子さんです)。

ここはひとつ、公開時の映像雑誌インタビューの時の彼女のコメントを再録することにしましょう。

セリフを通して情報を整理・強調し、分かりやすさを追求しました。この作品は、時間軸が幾つも交錯する形で物語が進行します。さらに話の内容自体、おそらく多くの日本人にはあまり知られていないことなので、私自身、最初に見た時には多少の分かりにくさを感じました。そのため、情報を整理したり強調したりして、セリフを聞いているだけで状況がつかめるように心がけました。もちろん、ヒーローに祭り上げられてしまった3人のそれぞれの心情がセリフに表れるようにも工夫しています。そのまま訳したのでは、ドラマの輪郭がぼやけてしまっただろうと思います。兵士たちのセリフまわしに関しては、幾つか戦争映画の吹替版をチェックし、子どもの頃にテレビの吹替版で見た戦争映画の雰囲気を出すようなつもりで訳しました。用語に関しては原作他硫黄島関係の書籍を参考にしたりインターネットで調べたりしましたが、ワーナーの小川さんに翻訳を見ていただいた際、「『マシンガン』より『機関銃』のほうが雰囲気が出るでしょう」とアドバイスを頂いたので、そちらに改めています。苦労したのは、戦場シーンでの兵士の区別です。翻訳に使った映像素材が白黒で見にくく、たくさんの兵隊が登場してガヤ的なセリフも多いので、誰が何をしゃべっているのかを見分けるのに一苦労。最初は登場人物の顔を覚えるため、止めた映像を写真で撮って確認していました。実はアフレコの現場で、俳優さんから「これ、僕のセリフでしょう」と助けてもらったりもしているんです(笑)。アメリカにとって硫黄島の戦いがどういうものだったのか、あの「一枚の写真」がどういう風に利用されたのか。ヒーローとたたえられた3人がその後、何を思いながらどんな人生を送ったのか。その辺りをじっくり描いたところが、この作品の面白さであり、すばらしさだと思います。

ティム・バートンの『スウィーニー・トッド』で花道を

前回話しましたように、私はワーナー退職までの最後の3年ぐらいの間に、お世話になった翻訳者の方々に、代表作と言っていただけるような大作・話題作の翻訳をお願いしました。佐藤恵子さんにお願いした最後の作品は、トニー賞を獲得した1979年のミュージカル『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』を原案に、イギリス・アメリカでドリームワークスが製作、ティム・バートンが監督し、2007年クリスマスに公開したファンタジー・ホラー・ミュージカル映画の『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』でした。

『タイムマシン』以来5年ぶりの本格的字幕翻訳です。彼女には、これが私が彼女に贈るワーナー花道の映画であるとは特に言わなかったのですが、彼女はあのティム・バートンの独特の“耽美たんび主義”の世界を、字幕でも巧みに再現してくれました。

素顔の恵子さんはミッチーの追っかけファン

最後に、彼女の隠れた一面をご紹介してペンを置きましょう。新社翻訳室には、実はもうひとり「恵子さん」がいます。この連載で、翻訳室からは2人の方を取り上げたいと思っていますが、そのもうひとりが、同じ名前の「岸田恵子さん」です。人は親しくなると姓ではなく名前で呼ぶことが多いですが、翻訳室では、「恵子さん」と呼べばおふたりが「はい」と返事をして具合が悪いので、どうやら佐藤恵子さんは、「さとけいさん」と呼ばれていたようです(私はそう呼んだことはなく、「佐藤恵子さん」でしたが)。

その「さとけいさん」とは、私の退社時に翻訳室の皆さんとご一緒に歓送会をしていただいたくらいで、個人的にそれほど親しいお交わりはなかったのですが、それでも色々話しているうちに分かったことがありました。それは、見かけは仕事一筋で至って真面目そうだったのですが、あのミュージシャンで俳優の及川光博さんの熱烈なファンであることです。彼の音楽ステージには、「ミッチー命」で、日本中はおろか、海外まで追っかけたと言いますから、人はほんとに見かけによらないものです。あれからもう14年、彼女の熱いミッチー“追っかけ”は今も続いているんでしょうか?

【執筆者】
元ワーナー・ブラザース映画製作室長
小川 政弘(おがわ・まさひろ)
1961年〜2008年、ワーナー・ブラザース映画会社在職。製作総支配人、総務部長兼任を経て製作室長として定年退職。在職中、後半の31年にわたって2000本を超える字幕・吹替版製作に従事。『ハリー・ポッター』『マトリックス』『リーサル・ウェポン』シリーズ、『JFK』『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』二部作等を監修。自身も『偉大な生涯の物語』『ソロモンとシバの女王』『イングリッシュ・ペイシェント』『老人と海』などの作品を字幕翻訳。著書に『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』(イーグレープ)、『字幕翻訳虎の巻 聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい』(いのちのことば社)などがある。

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