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【字幕翻訳者たちとの思い出】第10回 稲田嵯裕里さん 〜アニメーション映画の実力者〜

この記事は、書籍『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』の著者:小川政弘氏にその外伝として執筆いただきました。

連載第10回は、稲田嵯裕里さんです。

稲田嵯裕里さん
字幕翻訳を手がけた主な作品に、ワーナー・ブラザースでは『リトル・プリンセス』『ファーザーズ・デイ』『真夜中のサバナ』『トゥルー・クライム』『プルーフ・オブ・ライフ』『ショウタイム』『ターンレフト・ターンライト』『蝋人形の館』『ハッピー フィート』など。他社作品では『天使にラブ・ソングを2』『ライオン・キング』『草原とボタン』『踊れトスカーナ!』『ダイナソー』『ファインディング・ニモ』『ハッピー・フライト』、他多数。

稲田嵯裕里さんとは、1995年の『リトル・プリンセス』から、私がワーナーを定年退職した年の1年前、2007年3月公開の『ハッピー フィート』まで、12年ほどのお付き合いでしたが、ほんとに良いお仕事をしていただきました。

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ディズニーアニメ翻訳者を使え

才能ある新人字幕翻訳者をいつも探しては見つけ出し、翻訳のチャンスを差し上げることをモットーとしていた私が、次に“発掘”したのは彼女、稲田嵯裕里さんでした。メジャー映画会社(アメリカに製作部門を持つ配給会社)での中でも、ワーナーがとりわけ張り合っていたのは、“アニメーションの雄”、ディズニーです。長いワーナーの歴史の中で、そのディズニーと業務提携して、2年間だけ、ワーナーがディズニー作品も配給するという夢が実現した時がありました。一方でディズニーのアニメ作品を、上記の作品リストでお分かりのように、次々に字幕翻訳なさっている方がいました。私が黙っているわけがありません。1995年のある日、私は稲田さんに連絡を取り、ワーナー最初の作品『リトル・プリンセス』をお願いすることにしました。

『リトル・プリンセス』は、ご存じ、バーネット女史の同名小説が原作で、日本では「小公女」の名で知られています。まずは子どもでも分かりやすい美しい日本語訳で、その翻訳者の実力を評価するにはもってこいの作品でしたが、彼女はそれに見事にこたえてくれました。

真の実力者はジャンルを超える

プロの翻訳者たるもの、どんなジャンルの映画でも、クライアントから依頼されたら、いい仕事をしなければなりませんが、これまでにもお話しししたように、クライアントはどうしても “メロドラマは女性翻訳者、アクション・戦争物は男性翻訳者”という先入観で、翻訳者を決めてしまう傾向がありました。そんな中、ごく少数の、真に実力のある(と言っては語弊がありますが)翻訳者には、あらゆるジャンルの作品で十分に実力を発揮していただきましたが、稲田さんはそのお一人でした。少女文学原作の“字幕教則本”的作品から始めた彼女に、私はその後、毎回ジャンルの違う作品をお願いし、その都度、その並々ならぬ実力を見せていただきました。

『ファーザーズ・デイ』は、ビリー・クリスタルと今は亡きロビン・ウィリアムズのふたりが、昔の恋人の息子に対して「僕が父親だ」と名乗って張り合うコメディーでしたが、そのあとの『真夜中のサバナ』はクリント・イーストウッド20作目の監督作品でシリアスな法廷ドラマ、『トゥルー・クライム』は同じくイーストウッドが製作・監督・主演、音楽まで手がけたサスペンス社会派ドラマで、この辺りからすでに、事実の背後に隠れた“真実”を冷静に追求し、不当な法的・社会的圧力に苦しむ人々に温かい目を示す彼の人間性があらわになった映画でした。この映画には、幾つか聖書の言葉が出てくるのですが、稲田さんは聖書にもとても興味をお持ちで、ご自身も何度か教会を訪れられたこともありました。私は、洋画の製作業界では、時に“牧師さん”と呼ばれ、時に“聖書オタク”と呼ばれ、クリスチャンであることはかなりの人がご存じだったと思いますが、その人が訳した字幕の内容を超えて、聖書・キリスト教の中身まで深いお話のできる方はさすがに限られていました。稲田さんは、そんな数少ない翻訳者の一人となりました。

それに続く『プルーフ・オブ・ライフ』は、国際的テロリストグループとの人質解放交渉に、主人公のラッセル・クローが独り立ち向かう社会派ドラマ、次の『ショウタイム』はがらりと変わってエディー・マーフィーとロバート・デ・ニーㇿの二人が織りなす男臭い刑事コメディー、『ターンレフト・ターンライト』はワーナーとしては毛色の変わった、金城武主演の香港、シンガポールを舞台にした若い男女のすれ違いラブロマンス、そして、かなり怖いホラーサスペンス『蝋人形の館』と続きました。

楽しいCGアニメで私のワーナー退社の花道を飾ってもらう

でも私が稲田さんに最後にお願いした『ハッピー フィート』は、やはり最も稲田さんらしさを発揮していただけた作品でした。ワーナー退社も間近かった私が、ひそかに彼女に残したラストチャンスにふさわしい映画だったと言ってもいいでしょう。

『ハッピー フィート』は、ジョージ・ミラー製作・脚本・監督、イライジャ・ウッド、亡きロビン・ウィリアムズが声の主演をした、ワーナーの本格的なフルCGアニメでした。何万羽のペンギンが、まるで人間のように、スクリーン狭しとばかり飛び回り、踊り回ります。2007年の春休みを狙った家族映画で、当然吹替版も制作し、主人公のペンギン、マンブルには、厳しいオーディションでジャニーズの手越裕也君を抜擢、ブラザー・トムさんが二役を演じましたが、私が陣頭指揮をして制作した日本語吹き替え版のサンプル版が、本社社長らスタッフの絶賛を浴びて大いに面目を施した話は、『字幕に愛を込めて』本文にもあるとおりです。もちろん稲田さんの字幕翻訳は、長年のディズニーアニメで培ったアミューズメントセンスで、抜群に分かりやすくて面白く、子どもでも十分に楽しめるものでした。

後日談 ── 思いもかけずまた仕事でご一緒できたこと

その後も稲田さんは、日本の洋画字幕翻訳の今や大ベテランの一人でご活躍です。彼女との思い出と言えば、「ハリー・ポッター」もそのひとつです。当時、稲田さんのお嬢さんがハリー・ポッターの大ファンでした。小説では7巻シリーズの新作が出るたびに、真っ先に彼女に買ってもらって読みふけったと聞きます。彼女のワーナーでの最初のチャンス作品『リトル・プリンセス』の監督のアルフォンソ・キュアロンが、のちに映画の第3作『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』のメガフォンを取ったのも、何かのご縁だったでしょうか。

稲田さんは、フェイスブックでも私の友達になってくださり、おそらく時々はのぞいていてくださり、時には「いいね!」もくださるなどして、つながっておりましたが、最近、思いもかけずまた仕事でご一緒できました。

それは、昨年12月31日の大みそかにイオンエンターテイメント配給で劇場公開された『君といた108日』を彼女が字幕翻訳なさったときのことです。私は、ワーナー退職後も、フェイスブックの「聖書で読み解く映画カフェ」グループ管理人や「クリスチャン映画を成功させる会」代表として、聖書・キリスト教の立場から映画に関わっています。特に「クリスチャン映画を成功させる会」は、数人の有志と共に、クリスチャン映画の教会・クリスチャン向け宣伝を、配給会社から請け負っているのですが、この映画も宣伝に携わることになり、クリスチャン向けチラシのキャッチコピー、本文、そして日本語字幕まで監修させていただきました。そして図らずも、この映画の字幕翻訳者が稲田さんであることを知ったのです。彼女も監修が私であることを知り、久しぶりにこの映画の字幕に関する信仰面からのお話もできました。それだけではありません。最終的に配給会社さんが、字幕翻訳者名と並んで監修者名も入れたほうがいいかどうかと思案していることを知ると、彼女は「小川さんならぜひ載せてください」と後押ししてくださって、私は何度か監修のお仕事をしてきた中で、初めて名前を出していただけることになりました。もちろんこのお正月、それをこの目で確かめに(!)数年ぶりに渋谷の公開劇場に足を運んだのは言うまでもありません。稲田さんは、こうして、私の現役引退後もお仕事でつながらせていただいて、恐らく後にも先にも“現在形”でお話しできた唯一の方になりました。

【執筆者】
元ワーナー・ブラザース映画製作室長
小川 政弘(おがわ・まさひろ)
1961年〜2008年、ワーナー・ブラザース映画会社在職。製作総支配人、総務部長兼任を経て製作室長として定年退職。在職中、後半の31年にわたって2000本を超える字幕・吹替版製作に従事。『ハリー・ポッター』『マトリックス』『リーサル・ウェポン』シリーズ、『JFK』『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』二部作等を監修。自身も『偉大な生涯の物語』『ソロモンとシバの女王』『イングリッシュ・ペイシェント』『老人と海』などの作品を字幕翻訳。著書に『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』(イーグレープ)、『字幕翻訳虎の巻 聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい』(いのちのことば社)などがある。

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