【今回の執筆者】
岩辺いずみ(いわなべ・いずみ)
大学卒業後に雑誌で編集&ライティングの仕事に就く。アメリカに留学後、日本映像翻訳アカデミーで1年、フェローアカデミーでアンゼたかし氏のゼミに1年学ぶ。2002年から英語・フランス語の作品を中心に多言語の字幕を手がける。代表作に映画『キンキーブーツ(松竹ブロードウェイシネマ版)』『mid90s ミッドナインティーズ』『冬時間のパリ』『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』、ドラマ『ビリオンズ』『POSE』など多数。
HPとブログ https://www.iwanabeizumi.com
「好きなことをやりたい、好きなことができる場所に行きたい」。これは字幕翻訳界のレジェンド、戸田奈津子さんの言葉です。「ただその一心で、翻訳の道を突き進んだ」と、インタビューの記事で答えていました。この言葉に深く共感しつつ、私らしくするなら「好きな人に会いたい」を加えます。
ライターから翻訳者の道へ
多くの映像翻訳者と同じように、私も映画が大好きです。でも、年間3桁を見るほど映画漬けでも、すごく詳しいわけでもありません。気が向けば立て続けに見るけれど、他に楽しそうなことがあればそちらへ行く。これは何に対してもそうで、1つのことを突き詰めてやるのが昔から苦手。翻訳業界には音楽やスポーツから軍事や宗教、宇宙まで、マニアックな知識を持つ人が多いのですが、私は違います。仕事で必要に駆られてヒイヒイ言いながら調べては、終わると忘れる。そしてまた同じことを調べ直す・・・。20年間、この繰り返し。詳しい人に説明を聞くことが好きで、そのために脳が覚えまいとしているのではと思うほどです(はい、言い訳です)。
私が映像翻訳を志したきっかけは、子供が生まれ、取材中心のライターの仕事がきつくなったことです。ちょうど転職を考えていた友人に映像翻訳のスクールのセミナーに誘われ、「そういえば字幕翻訳に憧れたことがあったな」と思い出し、通うことにしました。字幕、吹き替え、ボイスオーバーをひととおり学び、日本語を自在に操る吹き替えが面白いと感じましたが、得意なのは字幕やナレーション原稿でした。これはライターの仕事で字数制限内で書いたり、ある程度の長さの文章を書くことに慣れていたからでしょう。最初に字幕の仕事をいただき、何度か吹き替えやボイスオーバーを手がけたものの、気づけば字幕ひとすじになっていました。
「はったり」ではじまった仕事が7年も続く
最初の仕事は、スクールから講座修了する直前にいただきました。イベント用に何十本もの海外のCMに字幕をつけたのですが、初めてSSTという字幕制作ソフトを使い、これが全然慣れなくて涙目になったのを覚えています。このトラウマか、いまだにスポッティングには苦手意識があります。
同じ頃に、ケーブルテレビの音楽番組に字幕をつける仕事と、DVD用の映画に字幕をつける仕事もいただきました。スクールではなく、どちらも友人からの紹介です。音楽番組は、番組の制作会社に転職した友人が声をかけてくれました。まだキャリアのない私をどう紹介してくれたのか、番組のディレクターがわざわざ会いにきてくれたので、私も「音楽は好きです!できます!」と、はったりをかましました。これがイギリスのマニアックな番組で、ゲストによっては方言やなまりがきつく、トークはスラングが多くて時事ネタやローカルネタが多い。しかもスクリプトは間違いだらけ。あらゆるコネを駆使していろんな人に聞きまくり、なんと7年も続きました。おかげでだいぶ鍛えられ、影響されてCDもずいぶん買いました。
DVD用の映画の仕事は、エッセイなどで何度かネタにしていますが、子供の保育園のパパ友の紹介です。パパ友と言っても、当時は子供の学年も違うし、話したこともありませんでした。私と同じく遅めの時間に子供を連れてくる健康サンダルのパパがいて、同じような仕事のにおいがする・・・と気になっていました。電車で一緒になった時に思い切って話しかけたら、映像の制作会社の社長さんだと分かり、すかさず「字幕の仕事をしてます!」と名刺を渡しました。それから半年後に仕事をいただいたのですが、これがアメリカのシリアルキラーを描いた実話シリーズ。深夜に怯えながら訳しました。この会社には今もお世話になっていて、『mid90sミッドナインティーズ』もその1つです。
仕事が途絶えたことも……
周りの協力に恵まれたおかげで、仕事の滑り出しは驚くほど順調でした。これは運もあるけれど、フリーランスの仕事の取り方を知っていたことも大きかったと思います。同じような実力の人たちが大勢いる中で、どうやって仕事をもらうか。まず相手の頭に浮かばないと声をかけてもらえません。それには日頃から仕事をしたいと伝えておくこと(翻訳に関係ない人にも伝えておく)、仕事を頼みやすい人でいることが大切。自分はどんな仕事をしたくて、何が強みなのか、機会があるごとに伝えていました。
なんて今だから偉そうに言えますが、順調な滑り出しにあぐらをかいて、慢心していた時期があります。あれは何年目だったんだろう。レギュラーの音楽番組の仕事が終わってしばらくすると、長尺(映画)の仕事もパタッと途絶えました。たまに単発の仕事が入るだけで、ヒマな時期が半年ほど続きました。このまま廃業かな、他にできる仕事があるんだろうか・・・と悩みながらもあきらめがつかず、映像翻訳関連のサイトやブログやTwitterなどで情報収集をしました。そこで他の翻訳者が制作会社に定期的に挨拶に行ったり、仕事が途切れそうなら営業をしたり、勉強会やセミナーに参加したりと努力している姿を見て、これじゃダメだと奮い立ちます。それからはTwitterで知り合った同業者との勉強会やオフ会に積極的に参加し、制作会社に挨拶に行くようにしました。そのかいあって、その後は仕事が続いています。
チームワークで仕上げたドラマ『ビリオンズ』
最初に「好きな人に会う」と書きましたが、私にとって人とのコミュニケーションは仕事の大切なモチベーションです。翻訳は孤独な作業ですが、1人では成り立ちません。発注してくれる人、担当者、チェッカー、ドラマシリーズなら他の翻訳者とのやり取りが必要なこともあります。自分で調べきれないことがあれば詳しい人に聞いたりと、作品ごとに違う相手とコミュニケーションを取り、作品がいいものになるよう仕上げていきます。そういう意味で思い入れのある作品が、ドラマ『ビリオンズ』(日本ではNETFLIX配信)です。金融ドラマで群像劇、難しい用語や最先端のネタが飛び交い、映画や音楽の引用も多く、1話訳すごとにぐったり。でも、担当者をはじめ、吹き替え翻訳者や演出家、金融の監修者との連携がよく、たまに帰国子女の役者(声優)さんの助けも借りて、チームワークで乗り切っています。このドラマも7年目。たまに見返すと直したいところはありますが、その時々の持てる力を出し切ってきたという自負はあります。字幕と吹き替えの違いも楽しめるので、見ていただけたら嬉しいです。
私にとって字幕翻訳は「好きなことをやり、好きなことができる場所に行き、好きな人に会う」手段です。この仕事が大好きだから、石にかじりついても続けると思っていた時期もありました。今は、他に手段があればそれでもいいと思います。自分の「好き」のために、軽やかに動きたい。そう思うようになってから、ますます字幕翻訳が好きになりました。