連載第4回は、古田由紀子さんです。
古田由紀子さん
字幕翻訳を手がけた作品に『ムーラン』『ハリエット』『マレフィセント』(1、2)『(500)日のサマー』『プリティ・ウーマン』など。フランス語の翻訳者でもあり、過去にはリュック・ベッソン監督の『ニキータ』、マルグリット・デュラス原作・ジャン=ジャック・アノー監督の『愛人/ラマン』、1992年にアカデミー外国語映画賞(現:国際長編映画賞)を受賞した『インドシナ』などの字幕も担当。
彼女とのお付き合いは、20年の長きに及びました。1980年代後半に初めて翻訳をお願いしてから数本の作品のあと、1990年のクリスマス・正月作品として、彼女のワーナーでの初の大ヒット作となった『プリティ・ウーマン』、それに続いた『カーリー・スー』、そして私が彼女にお願いした最後の作品となる2007年9月公開の『幸せのレシピ』に至るまで、彼女の訳した約20本のワーナー作品には、いつもソフィスティケイテッド(洗練された)で個性的な生き方をする女性が登場しました。それは取りも直さず、彼女を翻訳者に選んだ私が、彼女の中にそんな女性のイメージを誰よりも感じていたからにほかなりません。
ユニークなキャリアステップ
古田さんは、外国留学の経験はありませんが、カトリック系のミッションスクールの出で、そこでの学びで流ちょうな英語とフランス語をものにされました。
また彼女が映像翻訳の世界に入られたきっかけもユニークでした。学生時代から展覧会やショーの通訳をなさっていたそうですが、映像翻訳は全く経験がなかったのに、たまたまテレビの吹替版翻訳をピンチヒッターで頼まれて、そこから翻訳業界のコネができて、今度は劇場用映画の字幕翻訳の世界に入られたのです。一般的に同じ映像翻訳でも、劇場とテレビははっきり線引きされているので、両方にまたがる翻訳者は数えるほどしかいませんでした。また、字幕をやってから吹替版にも手を伸ばすのが普通で、彼女のようにその逆というのもまれです。
古田さんの字幕翻訳への姿勢
彼女と仕事のお付き合いを始めた頃は、字幕翻訳原稿はもちろん手書きでした。彼女の字体はふっくらと丸みを帯びたものでした。今は誰が書いても同じワープロ文字ですから、そこに著者の個性を想像する余地はありませんが、書体によってその人らしさが分かることは、手書き文化の良かったところです。
文字の良しあしはさておいて、彼女は、毎回、私の細かい表記訂正にも、真剣に対応してくれました。私は、翻訳そのものは、著者の感性を最大限尊重して、できるだけその表現を生かしましたが、表記はいわば誰にも共通して適用するワープロの「書式設定」みたいなものですから、文科省の「常用漢字表」「送り仮名の付け方」「外来語の表記」などに基づいて、どの翻訳者の方にもキビしく順守をお願いしました。彼女は、一つでも私の表記チェックのダメ出しを減らすために、必死に頑張られて、こう言って自らを励ましておられたそうです。「ワーナーのチェックのしごきに耐えられたら、なんでも耐えられる」(!)
彼女は、翻訳者としては当然なのですが、映画を愛し、そこに描かれた人生模様に自らも入り込んで、とりわけ自分が翻訳をする映画は、そのオリジナル脚本を尊重し、ストーリーそのものと、その流れ(コンテキスト)を大切にしながら、個々のセリフを日本語に置き換えていきました。ですから、一般の観客を対象にした映画は、誰にも分かるように意訳もしながら平易な訳を心がけましたし、かなりオタク系の映画は、その人々が満足するように、専門的な用語はあえて専門的に訳す配慮も怠りませんでした。
彼女の字幕翻訳への姿勢は、いつも真摯で、そのモットーは、「どの作品も、最初の一本のつもりで」、そして「映画だけでなく生活の全てがお勉強」でした。そして、この業界でいい仕事をしたいと思ったら、卓越した語学力を持っていることは言わずもがなで、何よりの決め手は「日本語力」、そして「徹夜にも耐えられる強靭な精神力」と言っておられました。事実、一見いかにも良家のお嬢さんのようなたおやかさとは裏腹に、どんな無理なスケジュールにも、きちんと応えてくれました。
こよなく旅を愛した翻訳者
なんと言ってもこの業界で、彼女は“旅する翻訳者”として有名でした。日ごろは月に少なくとも5作の作品をこなす超多忙な毎日を送りながら、1年の中で、2か月、少なくとも1か月は、完全にそんな日常と決別して、日本を離れて世界を旅したのです。それは文字どおりの“世界中”で、五大陸のどこが中心などという区別はありませんでした。数ある翻訳者の中には、ついに一度も国外に出なかった人もいる中で、これは誰が見てもうらやましいことでした。私も旅は好きでしたので、彼女がそんな旅から帰ってくると、仕事の合間に“旅談義”をするのが楽しみでした。そのたびに、私は「古田さん、旅の恵みをあなただけのものにするのはもったいないですよ。ぜひエッセーをお書きなさい」と何度かお勧めしたのですが、私の在職中はかないませんでした。その後、出版されたでしょうか。
思い出すのは、確かベトナム帰りのお土産だったと思いますが、物語の主人公の二人のフィギュアの中心を金具で留めて、両手を動かして対話劇をする人形でした。また、お母様も敬虔なカトリックの信者で、何度か聖地巡礼をなさったのですが、いつかは母子で行きたいとおっしゃってました。これもその後、果たされたでしょうか。そんなこともあって、クリスチャンの私とは信仰面でも心の通い合う間柄でしたので、毎年クリスマスには、美しいクリスマスカードを送っていただきました。
なにやら“故人を送る言葉”みたいなことになって恐縮ですが、私の「字幕翻訳者の思い出」は、その名のごとく全て過去の話になりますので、その点はご勘弁いただきます。願わくは、古田さんが現在も、そのモットーに従って、良きお仕事をなさっておられることを心からお祈りしています。
【執筆者】
元ワーナー・ブラザース映画製作室長
小川 政弘(おがわ・まさひろ)
1961年〜2008年、ワーナー・ブラザース映画会社在職。製作総支配人、総務部長兼任を経て製作室長として定年退職。在職中、後半の31年にわたって2000本を超える字幕・吹替版製作に従事。『ハリー・ポッター』『マトリックス』『リーサル・ウェポン』シリーズ、『JFK』『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』二部作等を監修。自身も『偉大な生涯の物語』『ソロモンとシバの女王』『イングリッシュ・ペイシェント』『老人と海』などの作品を字幕翻訳。著書に『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』(イーグレープ)、『字幕翻訳虎の巻 聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい』(いのちのことば社)などがある。