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【字幕翻訳者たちとの思い出】第3回 菊地浩司さん 〜高瀬さんの後継者が現れた!〜

この記事は、書籍『字幕に愛を込めて (私の映画人生 半世紀)』の著者:小川政弘氏ご本人にその外伝として執筆いただきました。

連載第3回は、菊地浩司さんです。

彼は、前回の戸田奈津子さん同様、とても気さくで人懐こい人柄で、初めて仕事を願いしてからワーナー退職まで20年以上にわたって、ほんとに良き交わりをさせていただきました。その交わりは退職後も続き、つい数年前も一度久しぶりにオフィスを訪問しました。菊地浩司さんが設立したACクリエイトはもうご長男の謙さんが社長を引き継いでいて、彼は会長職でしたが(現在は相談役)、最新の設備の整った仕事場を見せていただきました。また2年前、私の妻が急逝した時には、いち早く前夜式に駆け付けてくださり、心からの弔意を表してくださいました。それというのも、お仕事をお願いしていた30人以上もの翻訳者の中で、夫婦同士で家族ぐるみのお付き合いをさせていただいたのは、彼だけだったからです。彼は、その一切偉ぶらないお人柄で、私のようなクライアントにも、ご自分の社員にも、「菊地さん」「社長」とは呼ばせず、「浩司さん」と呼ぶよう言われていたので、この「思い出の記」でも、以後“浩司さん”と言わせていただきます。

目次

“変わり種”浩司さん伝説

どの業界でもそうでしょうが、映画翻訳者にもいろいろ変わり種がいます。その中でも浩司さんはかなりの変わり種でした。

① 彼が字幕翻訳者になったのは、“成り行き”でした

1947年東京生まれの彼は、学習院大法学部を出ながら、卒業後すぐに仕事には就かず、20万円を懐に、シベリア鉄道に乗ってオーストリアに向かいます。そしてすぐ隣のベルギーのブリュッセルで、針金細工のアクセサリーを自ら作って路上販売をし、月60万円を稼ぎます。1年後、日本に帰った彼は、今度は東京で“奇踏団”という暗黒舞踏団を立ち上げ、自らも体に金箔を塗って踊りながら、新宿の「アート・ビレッジ」というミニシアターで2年間続けます。でも自分は舞踏家にはなれないと踏ん切りをつけて解散、次は何をしようと思っているところに、思ってもみなかった転機が訪れます。アート・ビレッジが、アメリカから1950年、60年代の名作映画の16ミリフィルムを輸入し、上映しながらお客を呼ぶ映画喫茶に転向して、それに字幕を入れる必要が生じたのです。そして誰も経験者のいない中で、「浩司さん、あんたやってくれないか」とお誘いが来て、興味半分に引き受けたのが、彼の字幕翻訳者人生の始まりでした。

彼はつて・・を頼りに、業界では“お母ちゃん”と親しまれた映画字幕会社テトラの社長・神島きみさんに泣きついて(?)、生まれて初めて字幕翻訳のイロハを教えてもらい、やってみることになりました。やがて私のいたワーナーを始め、35ミリ劇場映画配給会社からも仕事をもらえるようになり、次第に実力を身に着けていったのです。

② 彼は“二足のわらじ”を履きました

そうこうしているうちに、彼はテレビやビデオの世界にも足を踏み入れ、物理的に金属板でフィルムに字幕を打ち付ける映画字幕と違って、電子的にモニター画像の中に字幕を入れ込んだり、吹き替え版を制作したりする仕事にも興味を持ち始めます。特に前者のビデオ字幕は揺籃期で、まだまだ開発・改善の余地があったのです。その興味と意欲が高じて、なんと彼は、自らテレビ・ビデオ字幕吹き替え版制作会社「ACクリエイト」を立ち上げてしまいます!

③ 彼の“忙中閑”のレジャーの舞台は広い海でした

翻訳者もいろいろ趣味を持っていますし、旅行大好きの人もいます。でも、自分でヨットを所有して、自ら操縦して海の広さを楽しんだのは、彼だけです。

④ 彼は字幕翻訳者の養成にも力を注ぎました

バベル翻訳・外語学院の依頼で、3巻より成る「ビデオで学ぶ映画字幕翻訳講座」の制作を請け負って動画とテキストを作り、バベルの翻訳者養成に貢献しました。クライアントの私が、電話で彼に翻訳をお願いしているシーンを、ワーナーのオフィスで撮影したことを懐かしく思い出します(恥ずかしながら私は俳優養成学校を出ていますので、こんなカットはお手の物でした)。

彼の人となりと業界で成し遂げた足跡は、挙げればまだまだありますが、ひとまずこの辺にして、彼とワーナーとの関わりに的を絞りましょう。

高瀬さんの後継者が現れた!

浩司さんに、ワーナー映画として最初のお願いをした作品はなんだったか、残念ながら記録が残っていませんが、1980年代の初めには、他社での評判を聞いて、お願いしていました。当時はまだ字幕原稿は手書き時代で、彼の左利きの筆跡は、戸田奈津子さんの流れるような崩し字とは対照的な、はっきりした画線の字でした。

彼の翻訳は、くせがない、とても読みやすいもので、私は内心、「清水俊二さんの後継者が愛弟子の戸田奈津子さんなら、高瀬鎮夫さんの後継者は浩司さんだな」と喜びながら、私の退職時まで、多くの作品の翻訳をお願いしましたし、ACクリエイトのスタジオからは、東北新社と並んでワーナー大作の吹替版が生まれていきました。ワーナーの翻訳本数で言ったら、私が依頼した翻訳者の中では、どちらかと言うと超大作に的を絞ってお願いした戸田さんを抜いて、高瀬さんに次ぐ第2位でした。

「グーニーズ」で浩司さんと声の“共演”をする

1985年のクリスマスに公開された正月作品『グ―ニーズ』は、前年公開された『グレムリン』と同じく、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮をし、こちらはリチャード・ドナーの監督作品で、四人組少年“グーニーズ”(goonies:マヌケたち)の冒険を描いたSFアドベンチャー映画でした。

この作品は、高収入が見込まれるお正月ファミリー映画なので、吹替版も作ることになり、初めてACクリエイトさんにお願いしました。このアフレコは楽しいものでした。制作責任者の菊地さんと、私もプロデューサーとして現場に立ち会いましたが、記念すべきACクリエイトのワーナー作品劇場用吹替版制作第1作ということで、ちょっと出演して声を残そうということになりました。恐る恐る演出の福永莞爾さんに頼み込んだのですが、彼もにやっと笑ってOKしてくれ、二人で悪役の一人として声を吹き込んだのです!(DVDの声の出演者クレディットには、最後のその他大勢に、二人も名を連ねています)。

浩司さんの主なワーナー翻訳作品

男性翻訳者でもあるので、浩司さんには結構アクションものを多くお願いしました。また彼はユーモアがよく分かる人でしたので(私の親父ギャグにも懲りずにいつもカラカラ笑ってくれました。)、コメディーもよくお願いしました。前述の『グーニーズ』も、字幕は戸田奈津子さんでしたが、吹替版翻訳は浩司さんでした。メル・ギブソンの『リーサル・ウェポン』は、彼のコメディーセンスを生かすべく、2作目までは岡枝慎二さんだったのですが、そのあとの5作目までの3作は浩司さんにお願いし、彼の代表的シリーズ物になりました。3本シリーズの『ロボコップ』、『ターミネーター』もそうです。

コメディーと言えば、『サボテン・ブラザース』を思い出します。もともと大しておかしくないのに、言語アドバイザーなるものを使って、その時はやりのギャグなどを無理やり入れ込んで字幕をいじり・・・、その効果やいかにと、浩司さんと二人、観客のウケを確かめるためお忍びで劇場に足を運んだ笑えないエピソードは、拙著『字幕に愛を込めて』にあるとおりです。

そこへ行くと、良質のコメディーアクションで楽しませてくれた彼の代表作の一つは、ジョージ・クルーニー扮する切れ者詐欺師オーシャンと、彼の憎めないワル仲間たちの「オーシャンズ」シリーズで、回を追うごとにその仲間が1人ずつ増えていき、『オーシャンズ11』から『オーシャンズ12』になり、2007年8月公開の『オーシャンズ13』が、私がお願いした浩司さん最後の作品になりました。

その間にも、忘れられない作品群は、つい先ごろ日本版でリメークされたハリソン・フォードの『逃亡者』、スタンリー・キューブリックの遺作『アイズ ワイド シャット』、ブラッド・ピットの代表作の一つであるギリシャ神話劇『トロイ』、沈没船という極限状況下での人間の生き方を描いた『ポセイドン』(共にヴォルフガング・ピーターゼン監督)などがありました。

そのほか、『メンフィス・ベル』『マーヴェリック』『スペース カウボーイ』『ディープ・ブルー』『フランティック』『イレイザー』『アイランド』などでの彼の翻訳にまつわる面白い舞台裏話は、拙著『字幕に愛を込めて』に書いたとおりです。

浩司さんとの思い出に感謝して

最後に、人間浩司さんのエピソードを2つほど記してこの回の結びとします。

一つは、彼の奥様・真里子さんへの深い愛情です。真里子さんは、数年間、シャレたイタリア製インテリアグッズのお店、「J.Mary」を開いていました。私も夫婦で一度伺いました。そこで撮った亡き妻との写真は、このお店の思い出とともに、貴重な一枚になっていますが、このお店は、愛するご次男の順司さんを若くして事故で亡くした彼女の傷心を癒やすため、浩司さんが彼女のやりたかった小物のお店の願いをかなえてあげたものと聞きます。「J」は「順司」のイニシャル、そして「Marry」は「真里子」ですね。お店と商品でおそらく優に数百万はかかったと思いますが、私はそこに、彼の奥様への深い愛を感じました。

もう一つは、1992年の春に、クリスチャンの端くれである私が、彼を半ば強制的に、聖地イスラエルとトルコの旅にお誘いした時のことです。聖地はもちろんのこと、トルコにはいろいろ聖書の舞台となった、知識欲旺盛な彼にとっても興味深い数々の遺跡があります。また、この旅行の2週間の間には、2回の日曜日の礼拝や、何度かのミニ説教や賛美の時がありましたし、彼以外の同行者十数人は全てクリスチャンでしたので、願わくはこの2週間で、彼にもキリスト教に興味を持ってほしいという私たち夫婦の“下心”もあったのです。世界を股にかけて旅した彼も内心、“これはなんとも窮屈な旅だな”とは思ったことでしょうが、そこは持ち前の屈託のなさで、このめったに機会のないレアな旅の恵みを、彼なりに味わってくれたと思います。後日、奥様に「浩司さん、帰ってきてどうでしたか?」と聞きましたら、奥様いわく「ええ、とてもよかったと言ってました。そしてなんか“きよめられて”帰ってきたみたい。最初の1週間だけだったけど」。最後のひと言に、亡き妻と、思い出しては笑ったものでしたが、私にはそれでも十分でした。あの2週間は、彼の心にもきっと生涯忘れられない思い出として残っているだろうと信じていますので――。

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【執筆者】
元ワーナー・ブラザース映画製作室長
小川 政弘(おがわ・まさひろ)
1961年〜2008年、ワーナー・ブラザース映画会社在職。製作総支配人、総務部長兼任を経て製作室長として定年退職。在職中、後半の31年にわたって2000本を超える字幕・吹替版製作に従事。『ハリー・ポッター』『マトリックス』『リーサル・ウェポン』シリーズ、『JFK』『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』二部作等を監修。自身も『偉大な生涯の物語』『ソロモンとシバの女王』『イングリッシュ・ペイシェント』『老人と海』などの作品を字幕翻訳。著書に『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』(イーグレープ)、『字幕翻訳虎の巻 聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい』(いのちのことば社)などがある。

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