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【字幕翻訳者たちとの思い出】第2回 戸田奈津子さん 〜私はノーマン・メインの妻です〜

この記事は、書籍『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』の著者:小川政弘氏にその外伝として執筆いただきました。

連載第2回は、戸田奈津子さんです。この方を挙げずに、字幕翻訳者を語ることはできません。戦前から戦後も30年近く、男性が君臨していた劇場用字幕翻訳の世界に、女性としてさっそうとデビューし、以来40年以上にわたって字幕の第一線で活躍なさっている彼女の存在は、本当に大きいですね。なんと言っても、字幕翻訳のたまものと意欲を持ちながら、活躍する場を持てなかった女性たちに、この世界を開いてくれたパイオニアとしての功績は、計り知れないほど大きいと思います。これから字幕翻訳者を目指す若い女性たちにとっても、彼女は今も変わらぬ“あこがれの存在”です。

目次

『地獄の黙示録』の翻訳者としてコッポラ監督が指名

知る人ぞ知る、津田塾大学英文学科を出られた戸田さんは、さる生命保険会社に入社してタイピストをしていたものの、字幕翻訳者にあこがれ、思い立って、そこは1年で辞め、前回ご紹介した字幕翻訳界の両雄のお一人、清水俊二さんに頼み込んで、“内弟子”になります。そして1970年、フランス英語『野性の少年』で念願の字幕翻訳デビューし、何作か経験を積んだのち、ついに運命の女神がほほ笑んだのです。

それが、1980年公開、フランシス・コッポラ監督の本格的ベトナム戦争映画、『地獄の黙示録』。コッポラ監督から字幕翻訳者に指名されたのです。まさかと思っていた彼女に、清水さんが、「僕が責任を持って見てあげるから、やってみるかい?」と声をかけてくれたと言います。その時から、今日の彼女への道が開かれたのです。最も脂の乗り切っていた時には、「戸田さんは週1で1本を仕上げている」とうわさされたものでした。年50本です!

ワーナーがほっとくわけがない

この字幕翻訳ニューフェースの評判を聞いたメイジャー映画会社ワーナー製作室の私が、ほっとくわけがありません。洋画配給会社は、大きく分けて、アメリカが本社のメイジャーと呼ばれる会社と、インディー(インデペンデント=日本人経営の独立系会社)の2つあったのですが、メイジャーの字幕翻訳者は、前回お伝えした高瀬鎮夫、清水俊二のお二人が、縄張りを持って劇場用字幕翻訳のほとんど9割近くを占めていました。このお二人に任せておけば安心だったわけですが、私は、このお二人の跡を継げる才能ある新人はいないかとアンテナを張り巡らせていたのです。私は早速に戸田さんに声をかけ、1980年の『チェーン・リアクション』(連鎖反応)という核汚染のシリアスドラマをやってももらいました。オーストラリアの大地震で、核を浴びて、あと3日の命になった主人公が、核の恐ろしさを告発する物語。俳優も無名の中級作品でしたが、彼女の実力を判断するには十分でした。

以来、まるで彼女の登場を待っていたかのように、病を得てほどなく他界された高瀬さんに代わって、戸田さんがワーナーのメインの作品にもたびたび登場するようになりました。高瀬さんや清水さんと違うのは、お二人はせいぜい2、3社と縄張りが決まっていたのに、彼女は、前述のようにお声がかかればどこの作品でも自由に腕を振るわれて、量的にも信じられないようなスピードで翻訳をこなされたことと、彼女のあとを追って、何人かの若手翻訳者が誕生していったので、ワーナーとしては、一人の方にお願いする長年の習慣を打ち破ることができたという点です。

ワーナーだけでもこの多彩な作品群が

ワーナーデビューの4年後の1984年、私はアメリカ宇宙飛行のパイオニアたちの命がけの冒険を描いた『ライトスタッフ』に彼女を“抜擢”し、以来、『ポリスアカデミー』のコメディー、『グレムリン』(監督スティーヴン・スピルバーグ)、『グーニーズ』(監督リチャード・ドナー)、『インナースペース』(監督ジョー・ダンテ)、『A.I.』(監督スピルバーグ)などのSF、再びスピルバーグが虐げられた黒人女性の解放を感動的に描いた『カラーパープル』や『マディソン郡の橋』(監督クリント・イーストウッド)などのドラマ、『ワイアット・アープ』(監督ローレンス・カスダン)、『ラスト・サムライ』(監督エドワード・ズウィック)の西部劇、私の大好きなラブロマンスの『ユー・ガット・メール』(監督ノーラ・エフロン)、『父親たちの星条旗』(監督イーストウッド)の戦争物など、あらゆるジャンルにわたって、優れた才能を発揮していただきました。何しろ、これはという大作は、普段は翻訳者の人選を私に任せていたワーナー日本代表が、「小川さん、これは戸田さんで頼むね」と言ってきましたし、それどころか、トム・クルーズもリチャード・ギアも大の戸田さんファンで、字幕は戸田さんを指名してくるのです。

彼女が他の翻訳者たちと違うのは、アメリカの映画人が来日する時は、しばしば通訳としてエスコートされたことです。「私は映画と結婚した」というほどの映画好きの彼女の映画への愛は、通訳を通しても監督や俳優たちに伝わらないはずがなく、その結果彼らの多くが彼女と親しくなり、自分の作品はぜひ彼女に字幕翻訳をと望むのは当然でした。こんなスーパーウーマン(ちなみに字幕のことを“スーパーインポーズ”というと聞けば、このユーモア、分かっていただけますね?)は、今や翻訳者多しと言えども、彼女だけでしょう。

シリーズ物では、私がワーナーにいた時の彼女の大ヒット作品の、ご存じ『ハリー・ポッター』です。J.K.ローリングの原作が7話、映画が中の1作を前後編に分けて8話、私は第5話まで担当し、戸田さんとこの一級のファンタジーを楽しみました。第1作の時は、二人で静山社社長でこの小説の翻訳者、松岡佑子さんをお尋ねし、ご挨拶したことを思い出しますが、小説の日本語訳も大ヒットし、そこで使われた主な訳語の一覧表がアメリカ本社から送られてきて、“字幕もこれに従うべし”というお達しだったので、戸田さんも自由にご自分の感性を発揮できず、さぞ苦労したことだろうと思います。

彼女の何が“特別”なんだろう?

彼女にとっては、字幕翻訳は、英語を半ば機械的に、正確に日本語に訳すいわゆる“翻訳”ではありません。彼女はスクリーンで話す主人公たちの言葉を、一度日本の文化の中に置き替えて、“日本人”の感性で改めて日本語で語らせるのです。だからその日本語は、まるで彼らが日本語で話しているかのように、自然で、しかも日本人の心の琴線にツンツンと響いてきました。

拙著『字幕に愛を込めて』にも書いたとおり、『スタア誕生』のエスター・ブロジェット役のジュディー・ガーランドが、最愛の夫を失って再起した時の舞台挨拶で、This is Mrs. Norman Maineと言えば、彼女の字幕は「私はノーマン・メイン夫人です」ではなく、「私はノーマン・メインの妻です」となります。また、『マディソン郡の橋』のメリル・ストリープに、行きずりのカメラマン役のイーストウッドがWhat is he like?と聞けば、その日本語は、「彼はどんな人?」ではなく、「どんなご主人?」となるのです。

『父親たちの星条旗』には、普段は常用漢字を遵守する戸田さんの訳に、「たおれる」という、太平洋戦争中には新聞に毎日のように出てきた表外字が登場します。彼女が、「この映画は、実際に戦場で戦友が倒れてゆくのを見た人たちもご覧になる。そういう人たちにとっては、〝たおれる〟はやはり〝斃れる〟でしょう」と言って、あえて使われたのですが、それが、多くの日本人の観客の心に寄り添う彼女の深い感性でした。彼女の日本語は、とにかく美しいのです。その美しさは、言葉を変えれば、映画の人物の中に入り込んで、感情移入をしながら訳す、彼女の心の柔らかさから生まれてくるものだろうと私は思います。

これも『字幕に愛を込めて』で触れましたが、『カラーパープル』の時、初号試写が終わると女性のすすり泣きが聞こえます。目頭を押さえてすすり泣いていたのは他ならぬ戸田さんでした。字幕のため彼女がこの映画を見るのはそれが3度目です。3度目でも感動して泣ける人。それが彼女の翻訳を、命あるものにしているのです。

ベトナム戦争映画で有名になった彼女ですが、7年後の1987年、ワーナーで再びそのチャンスが訪れました。今でも語り草になっている、スタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』です。戸田さんの日本語字幕の英訳をキューブリックがチェックしたところ、ハートマン軍曹が新兵たちを口汚くののしる場面のセリフがソフトすぎるという理由から、翻訳者変更となってしまったのです。でも彼女のあまりに美しい日本語は、この映画の卑猥ひわい極まるスラングの直訳を強要するキューブリックには、到底受け入れられなかったのも、むべなるかなと言えるでしょう。

真っ白に咲き乱れるアザリヤ

最後に、彼女のお人柄のすばらしさに触れて第2話は終わりましょう。そんな押しも押されもしない字幕翻訳の第一人者でありながら、彼女を知る人が誰でも口をそろえるのは、一切偉ぶらず、ざっくばらんで気さくなその人柄です。会えば誰もが好きになります。そして、日ごろお世話になっている人には、どんなに忙しくても、心を込めた贈り物や食事のもてなしで、感謝を忘れない人です。私も何度かその恩恵にあずかりましたが、1985年、私が急性胆嚢炎で1か月の入院を余儀なくされた時は、私の病院生活のためにグレーと黒、ツートーンのガウンを送ってくださいました。36年後の今も、これで温かい冬を過ごしています。

一方で、彼女はメカにはあまり強くなかったのも、ご愛敬でした。それでも。字幕の原稿書きが、手書きからワープロに変わった時、彼女はいち早くワープロを購入して、苦心さんたん、なんとかマスターして、ワープロ独特の横扁平体の原稿が来るようになりました。(でもそのせいで、彼女の美しい流れ崩し字書体を見ることはできなくなりましたが。)その彼女が『A.I.』で、アメリカの本社に呼ばれてホテルの一室に“監禁”されながら翻訳をした時には、そのメカオンチが災いして、ある事件が起きました。ワープロ打ちの続きをしようとしたら、突然パソコンがショートして、画面は真っ暗、うんともすんとも反応しなくなったのです。その知らせが飛び込んできた時には、肝を冷やしました。なんとか専門業者の手で翻訳ファイルは回復できたのですが、原因はこうです。USBのコネクターは表裏どちらでも同じだと思った彼女が、無造作に裏を上にして無理に押し込んだためでした!

2008年2月、私の引退記念パーティーが、業界の有志によって開かれ、予定では戸田さんが最後に、私に花束贈呈をしてくださるはずだったそうです。それが急なご家庭の都合で出席できなくなり、私は彼女からねぎらっていただく最後の機会を失いました。それから11年後、2019年に妻が急逝した時には、いち早く彼女から、真っ白に咲き乱れるアザリヤの一鉢が送られてきました。あの時の残念さは、彼女の誠実さで、このようにして報われたのでした。

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【執筆者】
元ワーナー・ブラザース映画製作室長
小川 政弘(おがわ・まさひろ)
1961年〜2008年、ワーナー・ブラザース映画会社在職。製作総支配人、総務部長兼任を経て製作室長として定年退職。在職中、後半の31年にわたって2000本を超える字幕・吹替版製作に従事。『ハリー・ポッター』『マトリックス』『リーサル・ウェポン』シリーズ、『JFK』『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』二部作等を監修。自身も『偉大な生涯の物語』『ソロモンとシバの女王』『イングリッシュ・ペイシェント』『老人と海』などの作品を字幕翻訳。著書に『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』(イーグレープ)、『字幕翻訳虎の巻 聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい』(いのちのことば社)などがある。

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