今回、インタビューしたのは、映像翻訳者の伊原奈津子さん。字幕翻訳と吹替翻訳の両方を手がけ、映画だけでなくドラマシリーズの翻訳もこなし、アカデミー賞作品賞を受賞した『ノマドランド』など話題作を多数担当しています。映像翻訳者になった経緯や仕事をするうえで大切にしていること、さらには好きな映画作品まで、たっぷりお話をうかがいました。
【プロフィール】
伊原奈津子(いはら・なつこ) 米国Shorter College卒業後、ワーナー・ブラザースに入社、字幕製作に携わる。その後、フリーランスの映像翻訳者として独立。主な字幕作品に、『きみに読む物語』『エミリー・ローズ』『ブッシュ』『もう、歩けない男』『ザ・メニュー』『ナイト・マネジャー』(ドラマ)など、吹替作品に『ノマドランド』『アーミー・オブ・ザ・デッド』『悪魔はいつもそこに』など他多数。映画翻訳家協会会員。
ワーナー・ブラサース勤務を経て翻訳の道へ
──まずは、映像翻訳の仕事を始めた経緯を教えてください
大学時代をアメリカで過ごしたのですが、当時は映画の制作のほうに興味があったんです。アイオワの短大を卒業したあと、ジョージアの4年生の大学に編入してジャーナリズムを専攻しました。
アメリカでの生活は、最初は英語も分からなくて本当に苦労しました。ただ1年を過ぎたら私にはアメリカは水が合っていたようですっかりなじんでしまって、結局5年間一度も日本に帰国しなかったんです。一生いてもいいと思っていました。
でも、卒業したからといって、すんなり映画業界に入れるはずもなく、コンビニの副店長をやりながら、漠然と映画関係やテレビ局の職を探していました。そんな中、私が一人っ子ということもあり、あまりに帰ってこない私をみかねた母に懇願されて、泣く泣く帰国することになりました。
──帰国後は何を?
テレビ局のADや百貨店のプレタポルテの売り子など、いろんな仕事をしながら映画業界に入るチャンスをうかがっていました。そうこうしているうちに、ワーナー・ブラザースでホームビデオ部門を立ち上げることになり、そこで人員を募集してるという新聞の記事を知り合いが見つけてくれたんです。それですぐに応募しました。
その後、その部門の立ち上げの話が頓挫しそうになったりしたこともあり、結局採用が決定するまでに半年もかかりましたが、根気よく待ち続けました。その間に応募の年齢制限の歳も超えてしまっていたのですが、最終的に製作部の秘書というかたちで採用していただけました。
──ワーナーではどのような仕事をされていたのですが?
ワーナー製作部の製作部長の小川政弘さんのもとで働いていました。業務は翻訳原稿のチェックから、当時まだ整理されていなかったワーナー作品のリスト作成や翻訳者さんの二次使用料の計算まで、多岐にわたっていました。当時のビデオ部門は本当に忙しく、毎日みんな夜中の2時ごろまで働いていましたね。
特に記憶に残っているのが1988年に日本で公開された『フルメタル・ジャケット』のときです。スタンリー・キューブリック監督は翻訳へのチェックが厳しいことで有名ですが、一度日本語に訳されたものを再度忠実に英語に直した台本をこちらが作成し、それに監督がチェックを入れます。まだメールはなくFAXもはしりのころで、テレックスでキューブリック監督の秘書の方と何度も何度も細かいやり取りをしたこともありました。
あまりにも忙しい日々だったので、その頃は朝起きた瞬間から自分が何だか怒っている、という日もありました。あるときなんて、休日出勤する際に生ごみを出してからタクシーに乗ろうと思ったのですが、気づいたらそのごみを持ったままタクシーに乗っていたんです。今思うとちょっと神経症みたいになっていたのかもしれません。
いろんな翻訳者さんの原稿を見ることができたのは本当に勉強になりました。特に戸田奈津子さんの原稿はいつも楽しみでしたね。戸田さんはいつも原稿の表紙に、その作品にまつわるイラストを描いて、きれいに色を塗って納品してくださっていたんです。戸田さんの、映画へのあふれる愛情を感じました。
シャーペンが真っ二つに折れるほど忙しかった
──伊原さんご自身が翻訳を始めたのは?
ワーナーに入った頃から翻訳学校にも通っていたのですが、仕事が忙しすぎて半年ほどで通えなくなってしまって。ただいずれ翻訳をやりたいということは小川さんにも伝えていたので、予告編などの翻訳から少しずつ始めさせてもらうようになりました。結局ワーナーには5年ほど勤めたのですが、その間に3~4本のビデオ作品の翻訳を担当させて頂いてから独立しました。
──独立後はどのように仕事を広げられたのですか?
独立前に、古田由紀子さんから当時はワーナーとお取り引きのなかった東北新社さんを紹介していただいて、自分がワーナーの社員だということを伏せて数本、お仕事させていただきました。先入観なしに私の翻訳を評価していただくには、ワーナーとお取引のある制作会社さんより、私の素性をご存知ない会社さんのほうがいいのではと思ったからです。お仕事が数本つながったので、「私にもできるかもしれない」と少し自信を深めて、独立することができました。
ワーナー時代からお世話になった制作会社の方からは「最初はご祝儀仕事がもらえても、それがいつまで続くか分からないから頑張るように」と厳しいお言葉もいただきました。でも幸い、今までお付き合いのあった会社からも、人を介してご紹介いただいた会社からも、お仕事を続けて受注することができて、とても運のいい、ありがたいスタートでした。
──伊原さんは字幕と吹替の両方をこなしていますが、その頃は字幕と吹替はどちらの仕事が多かったですか?
字幕を中心にやりたかったのですが、最初の頃は吹替の仕事が多かったです。当時、吹替の尺合わせができる翻訳者というのが足りていなかったようで、一時は「このまま吹き替えのお仕事しか頂けないのかな」と自分でもちょっと不安になるくらい吹替の仕事が多かったですね。
あの頃はまず劇場用に字幕版を制作し、そのあと吹替版を作るという流れでした。なので吹替の翻訳作業の前に字幕の翻訳も必ず見るので、それはそれでとても勉強になりました。字幕の仕事が増えてきたのは独立して3~4年経ってからですね。
最初の数年は本当に忙しかったです。手書きで吹替原稿を書く時代で、とにかく書いても書いても終わらない、といった感じでした。モンブランのシャーペンを使っていたのですが、『メルローズ・プレイス』(日本での放送は1992年〜1994年)という海外ドラマの吹替原稿を書いていたときにそのシャーペンが真ん中でボキッと折れたことがあります。それくらい原稿を書いていたんですね。1995年から日本で放送が始まった『X-ファイル』の吹替原稿も手書きで書いていた記憶があります。
私は頭痛の持病があって、昔から作品1本仕上げたら具合が悪くなる、といった感じでした。忙しいときはつい無理をしがちですが、この仕事はまず体力が何より大事です。丈夫な体というのは何よりの財産ですが、私のように あまり丈夫でない人間でも、それなりに気をつければ頑張れますので、ご自分に合ったペースでお仕事してください。特に若いうちは自分の体力を過信して仕事をする方も多いと思いますが、歳って本当にあっという間に取ります。頑張って日々翻訳されてる方々に本当に伝えたいですが、とにかく体を大事にしてほしいです。
──たしか、伊原さんは早い時期にSST(字幕制作ソフト)を導入されたんですよね
最初の数年はマイペースに翻訳を続けてきたんですが、一時、仕事がぱったりこなくなった時期があったんです。実際にはもっと短かったと思いますが、体感的には半年くらいなかったような感覚でした。その頃ちょうどSSTが使われ始めていたので、若い人たちがそういうシステムを使うのなら私もやってみよう!という気持ちで導入しました。
──最初に手掛けた劇場公開作品は?
数本ビデオ作品を手掛けた後、劇場公開作品で最初に字幕を担当したのは『ドタキャン・パパ』というコメディで、1997年に日本で公開されました。これはワーナーの作品でしたね。
ポリシーは「しつこく、粘り強くやる」
──これまで翻訳をご担当された映画で印象に残っている作品を教えてください
まわりの方がよく挙げてくださるのは『きみに読む物語』(2004年)ですね。「妻と最初に観に行った映画なんです」なんて素敵なことを言ってくださった方もいます。
あとは、『プリティ・ヘレン』(2004年)という作品もとても好きでした。自由に人生を謳歌していたヘレンという女性が、姉夫婦が突然亡くなりその子供たちを育てることになる話ですが、原題が“Raising Helen”というんです。まさにその子たちとの様々な経験がヘレンを成長させていく、という とてもいいお話でした。
最近ではチャドウィック・ボーズマン主演の『マーシャル 法廷を変えた男』(2017年)という黒人の男性が黒人の容疑者を弁護する話を翻訳しましたが、これは劇場公開しないのが本当に残念と思ったすばらしい作品でした。Netflixなどの動画配信サービスで視聴できます。
──いい翻訳が浮かばないときは何をしますか?
体力の話とも関係しますが、私はひとまず寝ます。あとは、その翻訳のことを常に考えていると、ふとしたときに探していた言葉が自分の目の前に現れるんです。新聞だったり、人との話の中だったり、「あ、これだ」と見つけることができます。
──分からないことがあるときは?
その道の専門家に訊きますね。以前、ヘリコプターの操縦について分からないセリフがあって、自衛隊に問い合わせたこともあります。ヘリコプターの中で“hit a brake”と言うのですが、「ブレーキを踏め」なのか、「ブレーキを押せ」なのか、そもそもどこにブレーキがついてるのかもよく分からなくて。
それで訊いてみたところ、ヘリコプターというのは止まるときは上空の同じ場所でずっとプロペラを回してるような状態なので、ブレーキを踏んだり引いたりするものではないらしく、結局「セリフ自体がちょっと不自然」という結論になりました。ただそれが分かったら「ブレーキを!」みたいにぼかした表現にすることができるので、やはり訊いてみることはとても大切だと思います。
──どうやって自衛隊の電話番号を調べたんでしょうか?
よく覚えてないのですが、当時はまだ個人情報もそんなに厳しくなくて電話帳などもあった時代なので、そういったもので調べたのかなと思います。でも皆さん問い合わせると、とても親切に教えてくださいますよ。自分が詳しいことを話すのって楽しいんだと思うのですが、ときには訊いてないようなことまで話してくださる方もいます。
──翻訳する際のポリシーはありますか?
しつこく、粘り強くやる、ということでしょうか。毎回、翻訳したあとは、本当は丸一日かけて見直したいくらいの気持ちなのですが、それくらい時間ギリギリまで粘ります。もちろんそれでも完璧なものはできないのですが、作品は自分の分身みたいなものですから、できるところまでやりたい。逆にそういう粘り強さみたいなものがなくなったら、もうこの仕事をしてはいけないかな、と思っています。
──訳すのが難しいのはどんな言葉ですか?
単語の意味も分かってる、文法も分かってる、でもなぜこのセリフがここにきているかが分からない、というセリフがたまにあるんです。その文章だけ抜き出して読むと確かにこういう意味のはずなのに、前後の流れにあてはめてみると何かが違う。そうなると作品の読み込みが足りないのか、または違う意味がその奥にあるのか、などかなり悩みます。そういうセリフがいちばん難しいですね。
──そういうときはどうしますか?
私はアメリカの友人に聞きます。すると、「どこをどう読むとそういう意味に取れるんだろう」と思うような回答が返ってくることがあるんです。ネイティブが読むとそうなるけれど、日本人として英語を勉強した自分には絶対に分からないようなことがあるんだなと思います。
ただそうやって解決できればいいですが、気軽に聞ける人がいなかったり、納期の関係でその時間がなかったり、必ずしもすべてをクリアにできるわけではないですよね。映画ならまだスクリプトに注釈がある場合もありますが、ドラマだとまずありません。そうなると最終的にはこちらで判断するしかないこともあると思います。
今はこれだけ簡単にオンラインで海外とつながることができる時代なんだから、作品を制作した監督やスタッフに気軽に問い合わせができる窓口があればいいのにとよく思います。
──最近は翻訳も時間との闘いですから、そのあたりは難しい課題ですね
本当に大変な時代だなと思います。時間に追われて仕事をするのが当たり前になって、大量の作品を短時間で量産しなくてはいけなくなると、クオリティもギャラも下がりますよね。作品が、作品というより品物になってしまっている感じがあるので、もう少し一つひとつの作品が大事にされる時代が戻ってくるといいなと思っています。
人間が好きでないと映像翻訳は難しい
──知識やスキルをインプットするために何かしていることはありますか?
「Alpha」というジャパンタイムズの英語学習用の英字新聞を購読しています。週に1回土曜日に届くのですが、ちょっとでも英語のトレーニングになればと思って読んでいます。学生時代に検定試験などをほとんど受けてないというのもあって、未だに英語力に自信がないんですよ。
──ほかの翻訳者の訳で「すごい」と思ったセリフはありますか?
私が吹替翻訳を担当した『ワンダー・ボーイズ』(2000年)という作品で、グラスをちょっと持ち上げて“Cheers”と言うシーンがあります。先に字幕版が作られていたので参考に見ていたら、そこの字幕が「とりあえず」になっていて。確かに「とりあえずビール」とかよく言いますし、何よりその場面にぴったり合っていて、すごいなと思いました。自分だったら普通に「乾杯」とかにしていたかもしれません。
──翻訳に関係なく、好きな映画作品や影響を受けた作品はありますか?
ロシア革命を記録した実在のアメリカ人ジャーナリストが主役の『レッズ』(1981年)、公民権運動家が殺害された1964年の事件をモデルにした『ミシシッピー・バーニング』(1988年)、核燃料工場労働組合の活動家カレン・シルクウッドの半生を描いた『シルクウッド』(1983年)のような政治的な作品が好きです。
反骨精神に憧れるというか、そこに人間の良心を見ることができる気がします。権力って力のない者を従わせ、それによって自分たちを栄えさせるというものですよね。でもたとえ弱くても歯向かったり立ち向かったりする気概って失ってはいけないと思うので、そういった弱者の抵抗が描かれてる作品に共感します。
たぶん私は人間がものすごく好きで、ものすごく嫌いなんだと思います。人間って本当にろくでもない、地球に人間がいなければとても平和なのに、と常々思っているのですが、その反面、人間が愛おしくてたまらないときもあります。人間の底にある良心のようなものが憐れで愛おしいというか。ただすべての人間に良心が備わってるものなのかどうかは正直分からないですね。そういった部分をまったく持ち合わせていないサイコのような人も存在すると思うので。
あと、反戦的な作品もよく観ます。ホロコーストを扱った『ソフィーの選択』(1982年)も好きですし、『ジョニーは戦場へ行った』(1971年)のNHK版の翻訳を担当させて頂いたときはとても力が入りました
──猫をたくさん飼われてますよね? 伊原さんは動物好きというイメージもあります
人間を含めて生きてるもの全般が好きなんだと思います。たとえば庭でカマキリが死にそうになっているのを見つけて、もう息も絶え絶えなのに意外としぶとくてなかなか死なない姿を見ると、命というものを深く考えさせられます。
実は去年も近所の方から、生まれたばかりのへその緒がついた子猫が2匹うちに持ち込まれたんです。そのときちょうど衆議院選挙の真っ最中で、千葉9区市民連合の共同代表なのでビラ配りとかいろいろやることがあったのですが、完全に子猫優先にしていました。
おかげさまですくすく育ち、今うちには1歳の子猫から18歳のおばあちゃんまで合計7匹の猫がいます。子猫たちは家が壊れるかと思うくらい暴れてなかなか大変です。でも自分もいろんなものに生かされているし、お互い様ですね。たまたま同じ時代に縁があって一緒に生きているので。
──戦争がテーマの作品の翻訳は、なかなかしんどい作業ですよね
作品によっては翻訳していて具合が悪くなることもあります。1981年の西ドイツの戦争映画『Uボート』の続編のドラマシリーズ(シリーズ1が2018年、シリーズ2が2020年)の吹替翻訳を担当したとき、目の血管が切れて充血したんです。治ってきたかなと思ったらまた切れて。その繰り返しでずっと治らなかったので心配で、シリーズが終わったら病院に行こうと思っていたら、翻訳作業がすべて終わったとたん治った、なんてこともありました。
──あらためて映像翻訳の大変なところと楽しいところは?
映画が好きで選んだ仕事なので「次の作品は何だろう」というワクワク感が何よりも楽しいです。大変なのは、自分が引き受けたら何が何でも自分がやり通すしかないというところでしょうか。それは替えがきかないということなので、裏を返せばやりがいにもなります。
自分が作った映画ではないので、本当にこれでいいのかな、製作者の意図と合っているのかな、といつも迷いながらやっています。でも引き受けたからには「伊原に頼んでよかった」と思ってもらえるようになりたいと願いながらやっています。
──これから映像翻訳者を目指す人へ、メッセージをお願いします。
人間を好きになって、人間を観察して、自分自身のこともその中の一人として観察してみてください。人が好きじゃないとけっこう難しい仕事かもしれません。あとはとにかく体を大切にすること! 病院や薬に頼りすぎないで、自己免疫力を高めるよう、ご自分をいたわってください。翻訳は何より体が資本です。
伊原奈津子さんが字幕翻訳を担当した近日公開予定の作品
『デスパレート・ラン』
5月12日(金)より全国公開。イオンエンターテイメント配給
数々の受賞歴を持つナオミ・ワッツが次なる主演作に選んだのは、「スマホだけ」で事件解決に挑む新感覚のシチュエーション・スリラー。ある朝、主人公エイミーが人里離れた森でランニング中に、息子が通う高校で立てこもり事件が発生!町はロックダウン状態、助けも移動手段もない中、愛する息子を救うためスマホを駆使して事件解決に向けて走り出す──。(公式サイトより)
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』
6月2日(金)より全国公開。パルコ、ユニバーサル映画配給
第95回アカデミー賞脚色賞受賞。2010年、自給自足で生活するキリスト教一派の村で起きた連続レイプ事件。これまで女性たちはそれを「悪魔の仕業」「作り話」である、と男性たちによって否定されていたが、ある日それが実際に犯罪だったことが明らかになる。タイムリミットは男性たちが街へと出かけている2日間。緊迫感のなか、尊厳を奪われた彼女たちは自らの未来を懸けた話し合いを行う──。(YouTube・公式予告より)
【取材・文】
梶尾佳子(かじお・けいこ)
フリーランスの字幕ディレクター兼ライター。日本語版制作会社の字幕部にて6年勤務した後、独立してフリーランスに。翻訳を含め、言葉を扱う仕事に関する様々な情報や考えを発信していけたらと思っています。
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