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【字幕翻訳者たちとの思い出】第13回 伊原奈津子さん 〜戸田奈津子のあとは伊原奈津子だ!〜

この記事は、書籍『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』の著者:小川政弘氏にその外伝として執筆いただきました。

連載第13回は、伊原奈津子さんです。

伊原奈津子さん
字幕翻訳を手がけた主な作品に、ワーナー・ブラザース配給では『ドタキャン・パパ』、『オースティン・パワーズ』、『知らなすぎた男』、『グッバイ・ラバー』、『スウィート・ノベンバー』、『スクービー・ドゥー』、『トゥー・ウィークス・ノーティス』、『ビフォア・サンセット』、『僕の大事なコレクション』、『ディセンバー・ボーイズ』、『ボディ・スナッチャー』など。他社配給作品では『デトロイト・ロック・シティ』、『マイ・リトル・ガーデン』、『恋はハッケヨイ!』、『拳神 KENSHIN』(広東)、『ゴースト・オブ・マーズ』、『ウォーク・トゥ・リメンバー』(ワーナー制作)、『ビタースウィート』(独)、『ミッシング・ガン』(北京)、『ルールズ・オブ・アトラクション』、『アマンドラ! 希望の歌』(英・ズールー・ソト他)、『イントゥー・ザ・ブルー』、『きみに読む物語』、『アイス・エイジ2』、『エミリー・ローズ』、『プリティ・ヘレン』、『僕の大事なコレクション』(英・露)、『夢駆ける馬ドリーマー』、「X-ファイル」シリーズ(吹替)、他多数。

目次

ワーナー“子飼い”の翻訳者誕生!

私はワーナー映画製作室で、ホームビデオも入れると優に50人を超える翻訳者の方々に、字幕・吹替版翻訳のチャンスを差し上げましたが、その中で、私自身が“手塩にかけて”育てた翻訳者が少なくとも2人いました。1人は次回登場する瀧ノ島ルナさん、もう1人が伊原奈津子さんでした。

忘れもしない1984年のこと、当時、ワーナーがホームビデオ部門も営業を始め、私は兼任していた総務部長職を他の人に委ね、劇場、ビデオ両部門の製作業務を一手に引き受ける製作総支配人として、連日夜中まで仕事をしていました。

そこへある日、若い女性から求人の電話がかかってきました。なんでも、「アメリカの大学(ジョージア州のショーター・カレッジ)を出て帰国し、就活を始めた。英語はできるし、映画も好きなので、できれば御社で働きたい。どんな仕事でもいいから、入社させてもらえまいか」というのです。それが伊原さんでした。

とりあえず、今社内でも増員を検討しているので、お願いできそうなら連絡するからもうしばらく待ってほしいと言って電話を切りましたが、なんと、それから1週間と置かず、“定期的”に彼女からの電話です。「御社で使っていただけるまでは、テコでも動きません」の意思がありありと伝わってきます。

こちらも“増員を検討している”というのはウソではありませんでした。劇場部門だけの時は、私と秘書の女性2人だけだったのですが、新規事業部であるビデオはゼロからの出発ですから、当然スタッフも要ります。そこでトップとも相談し、それまでの秘書の方には劇場部門の仕事をしてもらうことにして、彼女のあとに新しい秘書を入れることになり、私は上層部の了解を得て、伊原さんに承諾の電話を入れたのです。「え、ほんとですか? うれしい!」と飛び上がらんばかりの彼女の声は、今も耳に残っています(ちなみに、制作部の人員は、最終的にアルバイトの人も入れて、一挙に10人近くになりました)。

入社後の彼女の勤務ぶりは、それは熱心なものでした。はきはきした明るい声で、アメリカ本社も含めての電話の応対や接客など、秘書業務を立派に果たしくれました。“今だから話そう”ですが、少々閉口したのは、私へのお茶を、それこそ30分おきぐらいに、コーヒー、紅茶、日本茶、時には彼女自前のジュースまで入れて、入れ替わりで持ってきてくれるものですから、私の胃袋は常時水分でガボガボになったことです! 

そのうちに、翻訳者の方々とも懇意になり、翻訳の仕事についても少しずつ知るようになってくると、彼女は自分でも字幕翻訳をしてみたいと思うようになりました。幸い、ビデオ部門では、月に10本のペースで翻訳の要請があり、私も有能な新人をいつも探していたので、彼女に、私が監修の責任を持って、翻訳の仕事をやらせてみようと決心しました。そうして、翻訳者名なしでビデオデビューを飾ったのが、『オー! ゴッド2 子供はこわい』でした。

その後、数本の習作経験を経て、彼女は、初めての正式な劇場用字幕作品『ドタキャン・パパ』で、字幕翻訳者としてデビューしたのです。それだけではありません。彼女は、知り合った翻訳者の中で、ベテランの男性翻訳者に、今度は吹替版の翻訳テクニックを学び、こうして、今は翻訳学校で教える字幕・吹替両方のテクニックを、個人的な親方・弟子伝授法でマスターしたのでした。

フリーになってプロ翻訳者の世界に

数年後、十分に実力を身に着けた彼女は、ワーナーを退社、フリーの映像翻訳者の道を歩み始めました。私ははなむけに、「この10年は戸田奈津子、次の10年は伊原奈津子だ。頑張って!」と励まして送り出しました。そして私も今度はプロの翻訳者としての彼女に仕事をお願いするようになりました。

こうしてワーナー社員時代を含め、彼女とは私の退社まで20年にわたる仕事のお付き合いができ、私として最後にお願いしたのは、「ハリー・ポッター」のあと成人したダニエル・ラドクリフが、オーストラリアの孤児院で育った青年に扮し、仲間の3人と共に浜辺の家で夏の1か月を過ごした思い出をつづった『ディセンバー・ボーイズ』でした(オーストラリアの夏は12月です)。

彼女は、コメディーでもドラマでもよくこなしましたが、私は、温かな男女や家族の愛を描いたドラマに最も彼女らしさが出ると見抜いて、そのような作品を選んでお願いしました。2001年、シャーリーズ・セロン、キアヌ・リーブス主演の『スウィート・ノベンバー』、2003年、サンドラ・ブロック、ヒュー・グラント主演の『トゥー・ウィークス・ノーティス』が代表作の2本です。他社作品の中では、『きみに読む物語』が多くの人々の涙と共感を誘いました。

その後も、私がよく視聴しているNHKのBSシネマで、『HACHI 約束の犬』『赤毛のアン 後半シリーズ3・4』『奥様は魔女』『キッド』『ジョニーは戦場へ行った』『チャップリンの黄金狂時代』『夏休みのレモネード』『街の灯』『ミセス・ダウト』『ラストフライト』などの名作、話題作の数々のエンドテロップに、翻訳者としての彼女の名前を見ると、我がことのようにうれしくなります。

愛と信仰によって訳された一本『ウォーク・トゥ・リメンバー』

もう1本、ワーナー作品で他社さんから配給された、私にとっても忘れられない映画に2003年公開、マンディ・ムーア、シェーン・ウェスト主演の『ウォーク・トゥ・リメンバー』があります。メジャー映画会社では、新作ができると必ずアメリカ本社から1本プリントが送られてくるので、私も自社の試写室でこの作品を英語オリジナル版で見て、感動したのでした(ちなみにそのようなメジャー会社の新作は、その後、配給するか、劇場用としてはお蔵入りになってビデオスルーになるか、他社が買い付けて配給するかになり、この作品はギャガさんが買い付けたわけです)。

ニコラス・スパークスの同名小説(日本語タイトル『奇跡を信じて』)が原作で、離婚した両親を持ち、いつも問題を引き起こす高校生ランドンと、母を亡くし、厳格な牧師の父と暮らしながら、学校では演劇部に所属し、慈善活動にも精を出し、純粋で優しく、強い信念を持っている優等生のジェイミーの出会いと恋、そして悲しい結末を描いた映画でした。

どこが感動したかと言うと、この小説の日本タイトル、そして主人公ジエイミーの父が牧師であることからも推測できるように、この映画の背景にはキリスト教信仰があり、二人の恋が、地上での別離を超えて、信仰によって永遠にまで続いていくことを予感される内容であったこと(その意味では、2021年クリスマス公開の『君といた108日』と似ています)、そして翻訳者の伊原さんもクリスチャンであったことです。彼女自身も、感動しながら、特に心を込めて、また私がいつも心掛けているように、日本人の観客にも信仰の世界が分かるように心遣いをしながら訳されたであろうことは想像に難くありません。

この信仰の母にしてこの娘あり

彼女の信仰的背景は、彼女のお母様が熱心なルーテル派のクリスチャンで、彼女はお母さんの信仰を見ながら育ち、特に貧しい人や困っている人、お母様も病弱でいらしたので弱い人への深いあわれみの心を持っていました。また、徹底した平和主義者で、今も時々、地元の新聞のコラムに、まだまだ平和とは程遠い日本や世界の政治の現状に鋭く切り込んだ投稿が掲載されているようです。

一人っ子だった彼女のお母様の話をしたら、お父様の話もしなければなりません。彼女のお父様は、さる大学の教授を長くなさっていましたが、彼女がアメリカに留学していた間、一度その学び舎のあるジョージア州を訪れて、40日間ほど彼女と共に過ごされたようです。その州にもイタリアと同じ名のローマという町があって、彼女の友達などを中心に、娘と彼女を取り巻く女性たちとの40日間の交流をつづった『ジョージア・ローマの娘たち』を生前出版なさり、一度ご両親とご挨拶の席を設けていただいたとき、プレゼントしていただきました。異郷の地で学ぶ一人娘への思いやりと愛情あふれた作品で、「ああ、この両親のもとで育てられて今の彼女があるんだな」とうなずいたものでした。

今も猫のえにしで結ばれています

彼女の稿を閉じるに当たっては、彼女の優しさがまず向けられた、猫ちゃんの話に触れたいと思います。私が現役の時に、彼女のお宅にはすでに猫ちゃんが3匹もいました。確か千葉県の実家のお母さんのお世話と、そこに迷い込んできた野良猫を追い出すに忍びず、東京のマンションを引き払って実家に戻られたのです。私の記憶が正しければ、痩せてシラミでかいたあとに毛がないボロ雑巾のような「ボロ」、てんかん持ちで目が離せない「ごま」、そして茶毛の外泊同居猫「チャ太郎」。いずれも元は野良でした。おそらく今も、その後の世代の猫たちの、いいお母さんをなさっているだろうと思います。

かれこれ40年前、彼女がワーナーで秘書だった時、私の部屋のサイドデスクの上には、猫好きの私に皆さんが贈ってくださった猫の置き物がいっぱい並んでいました。そんないつかの誕生日に彼女が贈ってくれたかわいい猫の文鎮は、他の猫が全部去年の引っ越しで処分されたあとも、私のデスクに一匹残っています。信仰でも猫でも心のつながっていた、懐かしい翻訳者との思い出のよすがとして──。

【執筆者】
元ワーナー・ブラザース映画製作室長
小川 政弘(おがわ・まさひろ)
1961年〜2008年、ワーナー・ブラザース映画会社在職。製作総支配人、総務部長兼任を経て製作室長として定年退職。在職中、後半の31年にわたって2000本を超える字幕・吹替版製作に従事。『ハリー・ポッター』『マトリックス』『リーサル・ウェポン』シリーズ、『JFK』『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』二部作等を監修。自身も『偉大な生涯の物語』『ソロモンとシバの女王』『イングリッシュ・ペイシェント』『老人と海』などの作品を字幕翻訳。著書に『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』(イーグレープ)、『字幕翻訳虎の巻 聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい』(いのちのことば社)などがある。

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