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【字幕翻訳者たちとの思い出】第8回 石田泰子さん 〜歌詞もコメディもドラマも一級品〜

この記事は、書籍『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』の著者:小川政弘氏にその外伝として執筆いただきました。

連載第8回は、石田泰子さんです。

石田泰子さん
字幕翻訳を手がけた主な作品に、ワーナー・ブラザースでは『イマジン ジョン・レノン』『スペース・ジャム』『おやゆび姫 サンベリーナ』『バットマン フォーエヴァー』『ボーイズ・オン・ザ・サイド』『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』『スフィア』『魔法の剣 キャメロット』『ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション』『ワイルド・ワイルド・ウエスト』『キャッツ & ドッグス』『マジェスティック』『ドリームキャッチャー』『バットマン ビギンズ』『ティム・バートンのコープスブライド』『さらば、ベルリン』『The 11th Hour』など。その他、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』『34丁目の奇跡』『メジャーリーグ3』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ショコラ』『フリーダ』『ベッカムに恋して』『サラバンド』『不都合な真実』『恋の骨折り損』『バグズ・ライフ』『マルコヴィッチの穴』「トイ・ストーリー」シリーズなど多数。

当時、新進気鋭の翻訳者として活躍し始めた石田さんに、ワーナーが初めて字幕翻訳をお願いしたのは1988年の『マネキン』ですが、評判にたがわぬセンスの良さに、私は“そのうちにビッグタイトルの翻訳チャンスを”とひそかに心に決めました。そして、さらに数本の映画のあと、1989年公開の『イマジン ジョン・レノン』で、その思いを実行に移したのです。この作品は、ビートルズのメンバーで不幸にも右翼思想の白人の凶弾に倒れたジョン・レノンのセミ・ドキュメンタリー映画でした。これも、ごく限られたベテラン翻訳者しか使わなかった洋画メジャーの一翼を担うワーナーとしては、“抜擢”だったのですが、彼女は見事に期待に応えてくれました。映画の中には、当然ジョン・レノンの歌詞の日本語訳が数多く登場したのですが、この映画を見たオノ・ヨーコさんの実弟の方が、「この映画の歌詞は、今までで一番いい訳だ」と絶賛してくださったのです。このエピソードは、拙著『字幕に愛を込めて』にも記しました。この実績を買われたか、彼女は書籍「ジョンとヨーコ ラスト・インタビュー」(集英社)他の書籍翻訳もなさっています。

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抜群のコメディセンス

こうしてワーナーでの良きデビューを飾った石田さんとは、私が最後にお願いした2007年公開の『The 11th Hour』に至るまでの18年間、良きお交わりをさせていただき、様々なジャンルの作品で、本当に良いお仕事をしていただきました。字幕翻訳に関する私の持論の一つは、「良い翻訳者はコメディに強い」ということですが、このシリーズの第1回に登場した高瀬鎮夫さんは、抜群のユーモアのセンスの持ち主でした。それは、拙著『字幕に愛を込めて』第3部の「あきれたあきれた大作戦」のエピソードでも明らかです。彼は必要なときにはワーナー・アメリカ本社の首脳部や、かのスタンリー・キューブリックとも英語のレターでやり合ったのですが、シリアスな翻訳料の値上げ交渉や、うるさいキューブリックとの翻訳スタイルの交渉にも、決してユーモアを忘れませんでした。けれども彼は、男性翻訳者としては、むしろ“例外”で、コメディに強いのは、なぜか女性のほうが多いのです。コメディに強くなるには、1つは常日頃、生活の中のちょっとしたことにユーモアを見いだし、ニヤリとしたり、ゲラゲラ笑える“心のゆとり”を持っていることです。そしてもう1つは、英語圏の生活にも精通し、そこにおけるジョーク、ウィット、ユーモアを、日本人の感覚で笑えるように“転訳”するセンスを持ち合わせていることです。これもすでにご紹介した戸田奈津子さん、松浦美奈さん、そして今回の石田さんもその能力を兼ね備えていました。彼女は、私との会話でもしばしばカラカラと笑いましたが、あの笑い声を聞く時の心地よさは、最後にお会いして15年たった今も、よく覚えています。

そんな彼女の強みを生かして、ワーナーで最初にコメディ作品をお願いしたのは、ワーナーの代表的なアニメーション「ルーニー・テューンズ」シリーズの最新作、1997年の『スペース・ジャム』の字幕翻訳でした。この作品は、ルーニーのアニメキャラクターたちと、伝説のNBAプロバスケット選手のマイケル・ジョーダンと彼の仲間がみんな実名で出演した実写とアニメの合成映画でした。

この映画で石田さんが、ずば抜けたユーモアタレントを発揮したのは、ルーニー・アニメの主役バッグス・バニーの持ち役だった声優の富山敬さんが亡くなり、山口勝平さんに代わったのを機会に、このシリーズの定番のセリフ回しを一度全て見直して、字幕版・吹替版共通の新しい訳語にしたときです。中でも大変だったのは、シルベスター・キャットの常とう句「Sufferin’ succotash !(サファリン サコタッシュ)」の新訳です。これは直訳しても「苦しみの豆料理」などとおよそ意味をなさないもので、要はサ行の韻を踏んだ耳ざわりの良さを狙ったものでしたが、彼女はそれから数日の間に、なんと100近くの訳語を考えてくれました。そのどれもが、ほんとにバカらしくて笑えるものでしたが、最終的に「ルメも立ち!」(傍点は筆者)に落ち着いたエピソードは、これも拙著『字幕に愛を込めて』に記されています。

本命はドラマ翻訳

これで彼女のユーモア力を確信した私は、ワーナーコミックの代表作が基になった実写SFで、ジョーカーやコミカルな悪役の登場する「スーパーマン」シリーズにも、戸田奈津子さん、林完治さんと並び、石田さん訳で、『バットマン フォーエヴァー』『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』『バットマン ビギンズ』の3本をやっていただきましたし、他にも『キャッツ&ドッグス』、また他社のブラックコメディ作品『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の実力を知って、同じティム・バートン監督作品の『ティム・バートンのコープスブライド』もお願いしました。

けれども、どの翻訳者もそうですが、真の翻訳力を発揮するための本命はやはり本格的ドラマ作品です。ワーナーでは、2001年公開の『マジェスティック』で、彼女の真価を存分に発揮していただきました。『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』でドラマ映像作家としての名声を不動のものとしたフランク・ダラボン監督が、3番目にメガホンをとった本格的ドラマでしたが、私はこの作品をワーナーの試写室で初めて見た時に、“これは石田さんにお願いしよう”と即座に決めたのです。

この映画は、コメディ俳優のジム・キャリーが、1951年、第二次赤狩りの真っただ中で、ハリウッドの新進脚本家で記憶喪失に陥るピーター・アプルトンという難しい役どころを演じ、見事に演技派への脱皮を果たした作品でした。ピーターは赤狩り旋風に巻き込まれて仕事を失い、事故で記憶喪失になり、流れ着いた町で、その町出身の第二次大戦の英雄ルークに瓜二つだったため彼と間違われ、戸惑いながらも、次第に町の人々の素朴な善意に打たれます。そして、町の復興の第一歩としてルークが生前働いていた映画館“マジェスティック”の再建に尽力するという物語ですが、そこには、真の人間の生き方を問う感動的なセリフが随所に出てきます。石田さんはそれを本当に美しい日本語字幕にしてくださいました。その実力は、ワーナーでは『さらば、ベルリン』や地球環境破壊の危機を訴えた『The 11th Hour』などで、また他社作品でも、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ショコラ』他数々の名作で十分に証明されています。

生きるつらさで培われたお人柄

最後に、私が18年のお付き合いで知り得た彼女のお人柄の断片をお伝えして、この稿を閉じたいと思います。先ほど彼女の軽やかな笑い声の魅力を語りましたが、それは決して彼女が、何の苦労もない、順風満帆の人生の中で自然に生まれたものではないと私は思っています。私の知る彼女は独身でしたが、若い頃に、離婚の悲しみを味わっておられることを何かの時にお聞きしましたし、一緒にお仕事をするようになってから一度大病でつらい経験もされています。あの明るい笑い声からは想像もできない人生の重荷と痛みを抱えながら、そんなことは全くおくびにも出さずに、彼女は真正面から厳しい人生に立ち向かってこられました。そのたくましさの中で、あの明るい、豪快とも言える笑いは生まれてきたのでしょう。

彼女はある映画雑誌のインタビューで、「チャレンジできる仕事が好き」とおっしゃっています。この精神で、彼女は例えば、他社作品でシェイクスピア劇を現代に置き換えたコメディ『恋の骨折り損』でも、17世紀の格調高くしかも言葉遊びの粋を尽くしたシェイクスピアのセリフを、現代の若者にも分からせ、笑わせるという途方もない課題に、果敢に挑戦していますが、石田さんの生き方を見ていると、彼女にとっては、“生きること”そのものがチャレンジだったのだと思えてなりません。

猫好きの私に、毎年忘れず、かわいいニャンコカードで、年賀状をお寄せくださいました。そして彼女がキリスト教関係の本の翻訳をされた時、私にアドバイスをしてもらったお礼にと、紺地に渋いオレンジの猫柄を幾つかあしらったサンローランのネクタイを贈ってくださいました。私は今も公の大事な場では迷わずこれを着けており、やがて棺に収まるときにも、これを締めて天国に旅立たせていただこうかと半ばまじめに考えているところです。人を思いやり、その人の喜びを進んで自分のものにするための気遣いを惜しまない方でした。

【執筆者】
元ワーナー・ブラザース映画製作室長
小川 政弘(おがわ・まさひろ)
1961年〜2008年、ワーナー・ブラザース映画会社在職。製作総支配人、総務部長兼任を経て製作室長として定年退職。在職中、後半の31年にわたって2000本を超える字幕・吹替版製作に従事。『ハリー・ポッター』『マトリックス』『リーサル・ウェポン』シリーズ、『JFK』『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』二部作等を監修。自身も『偉大な生涯の物語』『ソロモンとシバの女王』『イングリッシュ・ペイシェント』『老人と海』などの作品を字幕翻訳。著書に『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』(イーグレープ)、『字幕翻訳虎の巻 聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい』(いのちのことば社)などがある。

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