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【字幕翻訳者たちとの思い出】第6回 松浦美奈さん 〜イエーツの詩集を読破した〜

この記事は、書籍『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』の著者:小川政弘氏にその外伝として執筆いただきました。

連載第6回は、松浦美奈さんです。

松浦美奈さん
字幕翻訳を手がけた主なワーナー・ブラザース作品に『いまを生きる』『依頼人』『理由』『陰謀のセオリー』『シティ・オブ・エンジェル』『ペイ・フォワード 可能の王国』『アマデウス』(ディレクターズカット)、同社フランス語作品に『レ・ミゼラブル』『ロング・エンゲージメント』。その他、『戦火の勇気』『ノートルダムの鐘』『フル・モンティ』『身代金』『フェイス/オフ』『サイモン・バーチ』『ジャンヌ・ダルク』『ノッティングヒルの恋人』『マーサの幸せレシピ』『きみの帰る場所/アントワン・フィッシャー』『戦場のピアニスト』『夏休みのレモネード』『パッション』『やさしい嘘』『ネバーランド』『オリバー・ツイスト』『戦場のアリア』『ナルニア国物語/第1章 ライオンと魔女』「インファナル・アフェア」シリーズ、など多数。

松浦さんは、外国映画の輸入・宣伝会社で宣伝業務をしていたのですが、会社が倒産したため、取引があった洋画配給会社の制作担当者の勧めで翻訳を始められたのが、字幕翻訳者になるきっかけでした。その担当者の方に、彼女の隠れた才能を見る目があったということでしょう。

彼女は、上記翻訳リストでも分かるように、硬派の推理ものや犯罪もの、恋愛もの、ヒューマンドラマ、コメディーと、ジャンルを問わずに多数の作品を翻訳されてきました。強いて言えばSFとスポーツが苦手ということでしたが、それをカバーするその道に詳しい翻訳者、あるいはアドバイザーを友に持って、オールマイティーでこなしてこられました(翻訳者は、プロたるもの、どんなジャンルの作品でも依頼があれば翻訳しななければなりませんが、やはり苦手分野はあるもの。そのときは、そのような良い“助っ人”を友に持つことです)。その代わりに彼女には、べたのロマンスよりも、男臭い硬派の作品が好きという強みがありました。彼女の翻訳した作品が実にバラエティーに富んでいるのは、そのためです。

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イエーツの詩集を読破した

そんな彼女とのワーナーの最初のお付き合いは、1990年、第62回アカデミー脚本賞受賞作、ロビン・ウィリアムズ主演の『いまを生きる』でした。ちょうどこの頃、彼女は、とても日本語のセンスのある翻訳で頭角を現していましたので、私はひそかに、「彼女は明日の戸田奈津子さんになるかもしれない」と思い、初めて翻訳をお願いしたのです。一方の彼女にとって、実はこの作品は、アカデミー・オリジナル脚本賞を取ったことからも分かるように、初めての本格的な“セリフが命”の名作でした。洋画配給会社の制作担当者の勧めで字幕翻訳者になったものの、この作品に出会うまでの彼女の数年間は、セリフはあってなきに等しいようなアクションもの、あるいは訳すのも読むのも恥ずかしいようなポルノ作品が圧倒的に多かったといいます。そのような“下積み”時代を経て、テレビ作品を中心にぼちぼちと本格的ドラマ作品の翻訳も手掛けるようになっていた彼女の評判を聞き“抜擢”したのでしたが、私の目に狂いはありませんでした。

彼女は、初めてのメジャー映画会社ワーナーからの仕事のオファーで、この映画に出てくるイエーツの詩を訳すに当たり、日本で出版されていたイエーツの詩集を全て読破して翻訳に臨みました。この映画の試写をご覧になったプロの詩人の方から、「あの詩の訳はなかなか良かった」というお褒めを頂いた時は、彼女と共に心から喜び合ったものでした。この一作で私は、彼女の言葉のセンスは、持って生まれた感性によるだけでなく、こつこつと努力を惜しまないガッツによってさらに培われたものであることを知ったのです。この作品を皮切りに、ワーナーでも、上記のような様々なジャンルの話題作を翻訳していただき、いずれも私の期待に応えていただきました。

フランス語にもキリスト教にも強かった

2005年に、ワーナーでは珍しいフランス語の映画『ロング・エンゲージメント』が公開された時には、フランス語もお出来になる彼女に、翻訳をお願いしました。

また、ミッションスクール出の彼女は、聖書知識も豊かでしたので、2004年、クリスチャン俳優であり監督でもあるメル・ギブソンが、イエス・キリストの伝記映画の“本命”としてメガフォンを取った『パッション』(ちなみにこの言葉は、キリストの十字架の“受難”を意味します)を見たとき、クリスチャンや聖職者が見ても満足するすばらしい字幕翻訳が彼女の手になるものだと知って、“さもありなん”と思ったことでした。他にも彼女は、何本ものキリスト教関連の映画を訳しています。『パッション』の実力を知っているクライアントは、安心してお任せしたことでしょう。

獣医になりたかったほどの猫好き

字幕翻訳家には猫好きが多いと思います。もちろん林完治さん(ハスキー犬)、岡田壮平さんなどの犬派もいましたが、やはり翻訳はデスクに向かって終日こもる仕事ですので、猫は気分転換にその場で遊べるからでしょう。御大の清水俊二さん(彼は別格で、最高で80匹を超えました)、岡枝慎二さん、戸田奈津子さん、古田由紀子さん、伊原奈津子さん、今泉恒子さん…、皆さん猫を飼い、私のもとには、この方たちからの猫のプレゼント写真がだんだん増えていきました(何を隠そう、私もそうだったので。ただし私の場合は、亡き妻が生理的に猫がダメで、この写真プレゼントは、半分はそんな私を楽しませるためだったのでしょう)。

松浦さんの場合は、単に猫好きと言うのではなく、虐げられているかわいそうな動物を黙ってみていられない思いやりの心からでした。私がご一緒していた頃には、後ろ足と尻尾を切られていたのを引き取ったニコと、野良猫たちを見かねてエサをやっているうちに、その中からとうとう引き取ってしまったユキの2匹がいました。血も涙もない男どもの荒っぽいせりふを訳すのを得意とした彼女と、弱いものに惜しみなく愛情を注ぐ彼女のギャップが、私には面白かったのですが、そんな彼女だからこそ、老若男女、あらゆる登場人物の、心のひだに分け入る深い翻訳ができたのかもしれません。

【執筆者】
元ワーナー・ブラザース映画製作室長
小川 政弘(おがわ・まさひろ)
1961年〜2008年、ワーナー・ブラザース映画会社在職。製作総支配人、総務部長兼任を経て製作室長として定年退職。在職中、後半の31年にわたって2000本を超える字幕・吹替版製作に従事。『ハリー・ポッター』『マトリックス』『リーサル・ウェポン』シリーズ、『JFK』『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』二部作等を監修。自身も『偉大な生涯の物語』『ソロモンとシバの女王』『イングリッシュ・ペイシェント』『老人と海』などの作品を字幕翻訳。著書に『字幕に愛を込めて 私の映画人生 半世紀』(イーグレープ)、『字幕翻訳虎の巻 聖書を知ると英語も映画も10倍楽しい』(いのちのことば社)などがある。

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