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『ゴッドファーザー』アメリカ映画業界のパワーゲームを制した映画|アカデミー賞受賞作品の舞台裏 第1回

1973年 アカデミー賞作品賞・主演男優賞、脚色賞受賞
『ゴッドファーザー』

1945年、ニューヨーク。ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)はニューヨークの五大マフィアのひとつ「コルネーオ・ファミリー」のドン。ヴィトーの三男マイケル(アル・パチーノ)は愛国心が強く、戦争から帰還したばかりの英雄で、マフィアの仕事とは無縁だった。しかし、ヴィトーが麻薬密売人のソロッツォとの取引を拒絶すると事態は急変する。ソロッツォはタッタリア・ファミリーと手を組み、ヴィトー暗殺を計画。父親の命を守るためにマイケルは、マフィアの世界へ入り込んでいく……。

目次

フランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカス

『ゴッドファーザー』は、心やさしい親思いの学生がアメリカの裏社会の新たな支配者になる、という映画ですが、現実の世界でも、『ゴッドファーザー』によりアメリカの映像業界の制作体制が変わったと言えます。この映画がなければ、日本の映像業界で今、仕事をしている人々の様子も違っていたかもしれませんし、実は、子供達が着ている服まで、ちょっと違っていたかもしれません。アメリカのパワーゲームを制した伝説の映画の裏側を、遠く日本から冷静に見てみましょう。

1960年代に、まだ20代ながら脚本家としてハリウッドで売れっ子となっていたフランシス・フォード・コッポラは、1969年に映画制作会社アメリカン・ゾエトロープをつくりました。そのパートナーが、若きジョージ・ルーカスです。まだ、ほとんど何も制作していないジョージ・ルーカスの才能を見抜いたコッポラは、ルーカスが学生時代につくった映画の長編、『THX 1138』という映画を制作総指揮します。しかし、この映画はあまり興行成績が良くなく、ワーナー・ブラザースはアメリカン・ゾエトロープとの契約を解除してしまいます。その為、コッポラとルーカスが作ったこの制作会社は倒産しそうになります。お金の流れを見て、アメリカのプロデュサーたちは、すぐに手を引いたわけです。

そんな時、売れていた小説を元に映画化が予定されていたマフィア映画を監督しないかと、パラマウントのプロデューサーがコッポラに声をかけます。大作映画の監督経験がないコッポラは、マフィア映画ということもあり、自分の今後の評判も気にして、気が進みませんでした。しかし、会社のパートナーであったルーカスは、絶対に引き受けるべきだ!と言ったのです。攻めるしか成功へのチャンスがないことをルーカスは知っていたのでしょう。結局、コッポラは監督を引き受けることにしました。

『ゴッドファーザー』は大成功するわけですが、もしこの仕事をコッポラが引き受けていなければ、コッポラとルーカスの映画制作会社は倒産していたかもしませんし、何よりも、ゴッドファーザーの次の年にルーカスが制作した、アメリカン・グラフィティを、コッポラはプロデュースできなかったでしょう。リスクを背負っても、積極的に道を切り開くしかないという、アメリカならではの選択でした。

『ゴッドファーザー』と『スター・ウォーズ』

『アメリカン・グラフィティ』は、制作費の約200倍の興行収入をあげる大成功となります。歴史上、最も利益率が高い映画!として評判になります。そして、ハリウッドのプロデューサーたちは、投資額の200倍の利益をあげたジョージ・ルーカスの能力に目を輝かせます。FOXのプロデューサーたちは、ルーカスに多額の制作費を出資し、ご存知、『スター・ウォーズ』の制作が始まるわけです。宇宙の物語に夢を持って制作されたというよりは、宇宙モノにはコアなファンがいて、且つ、お金を増やした実績があるルーカスに投資するのは賢明と考えたのです。自分たちもお金を増やしたいプロデューサーたちはすぐに動いたのです。

つまり、『ゴッドファーザー』の成功がなければ、『スター・ウォーズ』の制作までいけなかったことになります。今やアニメからドラマまで、ディズニーが様々な『スター・ウォーズ』作品をつくっていますが、『スター・ウォーズ』の映画シリーズ自体が歴史上、無かったとことになります。それはつまり、ディズニー・ランドにもスター・ツアーズが無かったということです。

また、俳優という面でも、『スター・ウォーズ』がなければ、ハリソン・フォードも有名になれたのか分かりません。アル・パチーノも『ゴッドファーザー』で有名になりましたし、当時、誰も映画に使ってくれなかった問題児、格安俳優に成り下がっていたマーロン・ブランドもここで復活したわけです。アル・パチーノとハリソン・フォードがいなければ、誰が『インディ・ジョーンズ』や、『セント・オブ・ウーマン』で演じていたのでしょう。

コッポラの配役戦略

『ゴッドファーザー』は、ハリウッドの古い制作体制に対するチャレンジでもありました。お金を出す人が絶対的な権限を持っていた時代です。プロデューサーたちが、「あの監督ダメそうだな」と考えると、撮影途中でもすぐに監督を交代させることができました。黒澤明監督も、FOXの『トラ・トラ・トラ!』の監督を依頼されながらも途中でプロデューサーたちと意見が合わずに、交代させられたことがありました。

コッポラも『ゴッドファーザー』の撮影中にプロデューサーたちから何度も交代されそうになりました。当時、監督として1週間ごとの契約であったため、コッポラは解雇されるのを阻止するために、契約更新になる曜日の直前にADを解雇しました。ADがいないと何がどこまで進んでいるか分からなくなります。そのため、プロデューサーたちは次の週までコッポラを継続させますが、またコッポラは新しいADも解雇するのです。プロデューサーたちは大混乱となります。やがて、プロデューサーたちは、「君に最後まで任せるからADを解雇しないでくれ」と言ったそうです。後にコッポラ本人がインタビューでそう語っています。

コッポラは、自分がイメージしている俳優を配役するためにも様々な手段をとります。アル・パチーノは、プロデューサーには弱々しすぎる無名の俳優として不評だったため、コッポラは、マイケル(アル・パチーノ)がソロッツォと悪徳警官を撃ち殺すシーンを早めに撮影します。そのラッシュ映像(編集前の映像素材)を見たプロデューサーたちは、アル・パチーノが適役であることを認めたそうです。また、問題児俳優とされていたマーロン・ブランドを配役するためにも、コッポラは自からブランドの家に行き、小さなカメラで試し撮りをして、大反対していたプロデューサーたちにその映像を見せ、納得させたといいます。あの手この手で古い考え方を変えていったのです。

ルーカスのグッズ戦略

そんなコッポラを近くで見ていたジョージ・ルーカスも、同じようにスター・ウォーズで、古い考えのプロデューサーたちと戦うことになります。予算を大幅に超えて制作を続けるルーカスをプロデューサーたちは止めようとします。ある程度のところで編集して公開しないと、制作費をかけすぎてしまい利益が減ってしまうと考えたのです。ルーカスは自分を信じてくれる数少ないプロデューサーに助けられながら撮影を継続します。有名な最後のデス・スターでの戦闘シーン、その特殊効果にも時間をかけ、クオリティが高い『スター・ウォーズ』を完成させます。そして、興行収入だけで制作費の約77倍となる大成功を収めます。

当時あまり注目されていなかったキャラクターグッズの権利を、ルーカスはFOXのプロデューサーたちから事前に取得していました。映画での利益を少なめにもらうことで、グッズの権利を得ていたのです。『スター・ウォーズ』のグッズの収入は映画会社ではなく、ルーカスに入ります。映画の収益よりも、結果的にグッズの方が収益が大きかったという説もあります。『スター・ウォーズ』のグッズは今でも街中に溢れています。『スター・ウォーズ』の映画はたまにしか見なくても、キャラクター商品はあらゆるお店で見かけ、『スター・ウォーズ』のキャラクターが入ったTシャツや靴下をはいた子供は世界中の街で見かけます。当時、『スター・ウォーズ』のキャラクター商品が莫大な富を生み出したことは、ビジネス界から大いに注目されました。

ルーカスは、グッズも含めた莫大な利益で広大な土地を購入し、特殊効果も制作できるスカイウォーカー・ランチを建設します。『インディ・ジョーンズ』のシリーズなども含む最先端の特殊効果を次々と作り出していきます。映像業界はルーカスによって飛躍的に進歩していったのです。今や、宇宙、恐竜、街、スーパーヒーロー、何でも特殊効果で自由に作り、動かせるようになりましたが、その技術の向上を進めたいったのが、『スター・ウォーズ』で成功したルーカスでした。

『ゴッドファーザー』の成功から、結果的に多くのクオリティの高い映画が生み出され、映像界全体が進化し、映画ビジネスも巨大化しました。『ゴッドファーザー』は世界の娯楽に影響を及ぼした伝説のドン・コルレオーネとも言えるでしょう。

【執筆者】
ヨネットマン / yönetmen
1994年にカリフォルニアの大学にて映画科を卒業後、LAの黒沢明事務所にて仕事をスタート。その後、日本でドキュメンタリー番組、旅番組などを演出。イスタンブールのテレビ局でも番組制作をするなど、映像制作業界にて26年のキャリアを持つ。

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