【今回の執筆者】
草刈 かおり(くさかり・かおり)
映像翻訳学校で講座を受講しながら映像制作会社で字幕チェッカーを担当したのち2002年からフリーランスに。主な翻訳作品は『世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ』『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』など。
音楽業界から字幕翻訳の世界へ
大学では語学を専攻していましたが、おもにやっていたのは音楽活動とミニシアター通い。なので音楽か映画の仕事に就きたいと思い、独自のエンタテインメント事業を展開する株式会社パルコに入社。音楽と映画事業の部署に配属され、音楽担当として洋楽の日本盤の制作と宣伝をやっていました。そのうち社内異動や家族の状況の変化などがあって転職することにしたのですが、音楽業界の仕事は面白かったけれど、流行がめまぐるしく、“生き馬の目を抜く”的なところがあり、ずっと続けるのは息切れしそうな感覚があったので、もう1つやりたかった映画の仕事をやろうと思いました。自分は企業勤め向きではないなとも思い始めていたので職人的な仕事がしたいと思い、音楽の仕事で海外とのやり取りや出張で英語には親しんでいたので、字幕翻訳家を目指して映像翻訳の学校に通いました。
同じ頃、映像制作会社に転職した友達がいて、字幕チェッカーをやらないかと誘ってくれました。その会社ではアメリカンプロレスの番組の字幕制作をやっていて、しばらくチェッカーをやり、そのうち翻訳もやらせてもらいました。アメリカンプロレスはプロットがきちんとあってドラマのようなものなので、セリフの訳し方も学べましたし、スラングやジョークや最新の流行語などにもたくさん触れることができました。
チャンス到来!のはずが……
翻訳学校のほうも、修了後すぐにCS放送用の音楽番組、DVD用の音楽やバレエのドキュメンタリー、劇場公開映画のEPK(トレーラーやインタビューなど宣伝映像)などの仕事をいただきました。新人としてはスムーズに仕事をいただくことができて悪くないスタートだったと思います。
その中で、劇場公開用に『MOOG モーグ』という音楽ドキュメンタリー映画を翻訳するチャンスをいただきました。フリーになって2年目か3年目だったと思います。電子楽器モーグを開発したモーグ博士のドキュメンタリーで、音楽好きとしてとても興味深い内容でした。納期がかなりキツく調べ物もとても大変でしたが、精一杯翻訳して、翻訳学校のコーディネーターのチェックを経て納品しました。その後、先方からのチェックバックなどはなく、公開日を迎えてドキドキしながら劇場に観に行ったのですが、書いた覚えのない字幕がチラホラあり、翻訳者クレジットも出してもらえず、ガッカリしました。演出を加えた字幕に変えられたようです。自分はまだまだだなと痛感しました。今思うと、もっとキャリアを積んでから出会いたかった作品です。
価格崩壊、急な依頼、短納期
その後、もっといろいろな作品を翻訳してみたいと思い、フェロー・アカデミーの翻訳者ネットワーク「アメリア」で求人に応募してトライアルを受けたり、同業の知人からたまたま紹介されたりなどで取引先が増えました。この頃、おもに仕事をいただいていたのは小さめの制作会社と翻訳会社で、DVDや放送や配信用の映画やドラマやアニメが中心になりました。
この時期は、いただく仕事の作品内容は面白かったのですが、字幕翻訳の価格崩壊などもあった時期で、何年やっても一向にギャラが上がらず、急な仕事や納期のキツい仕事が多く、いつまでこの状態が続くんだろうと思い始めました。そして同じくらいのキャリアの同業者から話を聞くうち、どうやら自分は“孫請け”の仕事が多いことに気づいたのです。すでにキャリア15年目ぐらいになっていたので、クライアントや制作会社からなるべくダイレクトに近い形で仕事を請けたいと思い、ダメ元で大手制作会社に翻訳作品リストを送ったり、同業の知人に頼んで紹介してもらったりしました。結局、作品リストを見てトライアルなしでOKと判断してもらえるケースや、孫請けでやった仕事がその会社からの案件だったらしく「うちの仕事をやってくださっていたんですね」という感じですぐに仕事をいただけるケースが多く、 “下積み”が役に立ったわけです。
好きな歌詞字幕も手がけた2本の近作
今はおもに、クライアント(配給会社、局、配信元)→制作会社→翻訳者、という形で仕事を請けていますが、孫請けの時と比べてチェックバックの丁寧なやり取りなどでじっくり意見が交換でき、翻訳作品に対して責任が持てるところに大きなやりがいを感じています。スケジュールについても、急ぎの仕事ももちろんありますが、こちらの予定を早めに確認していただけたり、場合によってはこちらの予定に合わせて調整していただけることもあり、じっくり取り組める仕事も増えました。
そんな“第3期”に入ってからいただいた仕事には印象に残るものがたくさんありますが、特に印象深かったのは去年と今年に手がけた劇場公開作品2本です。
今年上旬に公開された『世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ』は、ウルグアイの元大統領ムヒカ氏をエミール・クストリッツァ監督が撮ったドキュメンタリー映画。制作会社のご担当者に何かのついでに“スペイン語を勉強中なんです”とお伝えしたところ、“ちょうどいい作品が来ました”とお話をいただきました。清貧の大統領で好々爺なのに元ゲリラ闘士というムヒカ氏はとても魅力的で、素晴らしい映画なのですが、政治の内容であること、ウルグアイの情報が少ないこと、ムヒカ氏がシンプルな言葉を使う分、訳し方が難しい、という点でかなり苦労し、ラテンアメリカ研究者の方にチェックしていただいて字幕を仕上げました。一方で、この映画はクストリッツァ映画らしく音楽がたくさん出てくるのですが、歌詞字幕を訳すのが好きなので、タンゴの名曲をはじめとする歌の歌詞を訳すのはとても愉しかったです。そして苦労して訳したムヒカ氏の言葉が“ムヒカ語録ポストカード”として前売り券のノベルティになったのも嬉しかったです。
そして11月から公開中の『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』はアメリカの人気バンドMercyMe(マーシーミー)による、史上最も売れたコンテンポラリー・クリスチャン・ソングの誕生秘話を描いた音楽ドラマ映画。主演のJ・マイケル・フィンレイはブロードウェイで活躍する俳優だけに歌のうまさが圧倒的だし、名優デニス・クエイドは毒親という難しい役どころで味わい深い演技を見せる、ドラマ良し、音楽良しの感動作です。クリスチャン映画でもあるので、字幕はクリスチャンの方に監修していただきました。翻訳者としてキリスト教や聖書についての基本的な知識は持っていましたが、“クリスチャンなら心情的にこういう言い方をするのではないか”というところまでアドバイスをいただいて、とてもためになりましたし、タイトル曲の歌詞字幕の解釈についても何度も意見をやり取りして仕上げることができてやりがいのある仕事でした。
感激と共感
仕事をやる上で心がけているのは、愉しんで翻訳することと、自負を持って翻訳すること。今はSNSや情報サイトのレビューなどで観客や視聴者の感想がダイレクトに分かるのがいいですね。担当作品について“あのセリフがよかった”と書いてあったら、“訳でちゃんと伝えられた”と分かって感激だし、“あのシーンがよかった”と書いてあったら、作品をじっくり味わった1人として“そうだよね”と共感して嬉しくなります。これからも、そんな瞬間にやりがいを感じながら仕事をしていきたいです。