第一線で活躍している字幕翻訳者は、どのようなキャリアを歩み、“字幕翻訳”という仕事をどのように考えているのでしょうか。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』『ムーンライト』『シェイプ・オブ・ウォーター』など、数多くのアカデミー作品賞の字幕を手がけてきた稲田嵯裕里さんにお話を聞きました。
【プロフィール】
稲田 嵯裕里(いなだ・さゆり)
大学卒業後、ファッション雑誌の翻訳、カメラマンのマネージャー兼通訳を経て、映画字幕原稿チェックの仕事に就く。その後、フリーの字幕翻訳者として独立。字幕翻訳を手がけた近年の主な作品は、『ドント・ルック・アップ』『フェアウェル』『アイリッシュマン』『シェイプ・オブ・ウォーター』『ムーンライト』『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』など。『私ときどきレッサーパンダ』『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』『ファインディング・ニモ』『リロ・アンド・スティッチ』『Mr.インクレディブル』『ライオン・キング』(1994年版、2019年版)などアニメーション映画も多く担当。
【翻訳者としてのキャリア】人との繋がりの糸を切ってはいけない
──字幕翻訳の仕事を始めるまでの道のりを教えてください
母の影響で映画は子供のときからよく見ていました。幼稚園の頃から映画館に連れて行ってもらっていたので「シェルブールの雨傘」をリアルタイムで鑑賞した記憶があります。
中学で演劇部に入り、大学は映画や演劇を学べる芸術コースに進みました。大学の演劇部にも所属していましたが、自分が舞台に立つことよりも裏方で脚本などを担当してセリフを考えるのが好きでした。当時は字幕翻訳の仕事なんてまったく念頭になかったのですが、そういう意味では“セリフ”というものに対する下地はあったのかもしれません。
──字幕翻訳に興味を持ったのは?
大学卒業後、雑誌記事の翻訳の仕事を経て、カメラマンの藤井英男さんの事務所でマネージャーの仕事を始めました。とても居心地のいい職場で楽しく働いていたのですが、その事務所で雑誌を見ていたときに、字幕の翻訳学校の広告を目にしたんです。そんな学校があるんだなと思って、そこで初めて字幕翻訳に興味を持ちました。
──学校に通われたんですか?
はい、そのまま働きながら学校に通いました。ただ1年のコースに申し込んだのですが、実際には10回くらいしか授業には出ていないと思います(笑)。当時は今のように自分の訳した字幕をすぐ映像にのせて見られるわけでもないですし、言い方は悪いですが途中で飽きてきてしまって、だんだん行かなくなりました。ただ1秒4文字などの基本ルールはそこで習いました。
──英語はどうやって身につけたのですか?
これは本当に親に感謝してるんですが、ずっと英語の家庭教師をつけてもらっていたんです。高校3年生で英検1級を取っていたので、留学などは特にしていません。
──翻訳学校の後、すぐ映像翻訳業界に入られたのですか?
ちょうどコロンビア映画(現:ソニー・ピクチャーズ)で社内翻訳室を作るという話があり、私が字幕翻訳をやりたがってると知っていた知人がそこに推薦してくれたので、そちらに入るためにカメラマンの事務所を辞めることにしました。そして数か月かけて引き継ぎを済ませ退職したんですが、辞めたとたん社内翻訳室を立ち上げるという話が立ち消えになってしまったんです。
──振り出しに戻ってしまったんですね! その後はどうされたんでしょうか?
退職したうえに社内翻訳室の話もなくなり、さあどうしたものかと思ったのですが、ぶらぶらしていても仕方ないのでこの期間に英語力をブラッシュアップしようと思い、英会話を習い始めました。バリエーションをつけるためにふたりの外国人の方にお願いしました。
その先生のひとりにこれまでのいきさつなどを話していたら「やりたいことがあるなら自分からどんどん売り込みなさい。人との繋がりの糸を切ってはいけない」と言われたんです。そこで、季節の変わり目などにコロンビア映画の方に手紙を書き、「また何か必要なことが出てきたらいつでもご連絡お待ちしています」と伝えるようにしました。
その手紙は英語で書いてたんです。日本語だと自分をアピールする内容はちょっと書きづらい感じがしますが、英語だと少しくらい大げさな表現も抵抗なく書けますよね。それに英語力のアピールにもなるので。
そうこうしているうちに、以前の職場の方が東北新社を紹介してくれました。その頃、レンタルビデオ店ができ始めて大量の海外映画のビデオ作品が必要になり、翻訳の需要が一気に高まっていたんです。まだ東北新社に字幕制作室もなかった頃ですが、その第1期生として字幕チェックの仕事を始めました。
といっても社員として働いていたわけではなく、チェックのギャラも1本いくらの形式で頂いていました。そこで清水俊二さん、戸田奈津子さん、菊地浩二さん、松浦美奈さん、石田泰子さんなど、すでに業界で活躍されていた方々の翻訳を日々チェックしていました。当時はまだ手書き字幕だったのですが、1日2~3本はチェックしていたと思います。
──実践で字幕翻訳を学ばれたのですね。そこからデビューに繋がったのでしょうか?
2年ほどチェックの仕事をしたところで、ビデオ用の翻訳を少しずつやらせてもらえるようになりました。で、だんだん字幕翻訳に慣れてきた頃に、東北新社の字幕制作室を指揮していた方に「私の推薦ということで、私の名前を使って売り込みにいっていいよ」と。
それで他の会社にも営業をかけ、コロンビア映画の『ブロブ/宇宙からの不明物体」(1988年)という作品で劇場デビューをさせて頂けることになりました。あの手紙でアピールしていた努力が直接実ったわけではないのですが、結果的に劇場デビューしたのはコロンビア映画の作品でしたね。
【子育てしながら築いたキャリア】転機はアニメ版『ライオン・キング』
──これまでに多くの作品の字幕を担当されていますが、転機になった作品というのはありますか?
いろいろありますが、まず挙げるとしたらアニメ版『ライオン・キング』(1994年)でしょうか。その頃ちょうど出産後で、子育てしながら仕事をしていたんですが、当時は子供のいる翻訳者というのが大変めずらしかったんです。どのくらいの言葉なら子供に通じるか、という部分が実生活である程度分かっていたので、それは役に立ったと思います。その作品以降、アニメ作品のお仕事を頂くことがとても増えました。
──確かにアニメ作品をたくさん手掛けてらっしゃる印象です。アニメ作品で難しい点は何でしょうか?
子供の言葉というのが一番難しいと思います。子供の視聴者が理解できる言葉は限られていて、熟語などの難しい言葉は使えません。また子供のキャラクターが使う言葉も同じです。例えば「おばあちゃん」のことを「ばあば」と呼ぶことが世の中で定着し始めたときは、「やった!」と思いました。文字数がかなり節約できるので。
あと読むスピードも注意が必要です。以前、高校生くらいの年齢層がターゲットのアニメ作品を1秒4文字の字幕に翻訳したときに、すべて作業が終わってからクライアントに「1秒3.5文字の字幕に直してください」と言われたことがあります。どうやら本社で高校生をランダムに集めて試写を行ったところ、「文字が読み切れない」という意見があったそうなんです。1秒4文字でも厳しいのに……と思いましたが、1200枚くらいのセリフをすべて直しました。
──子育て中はどうやって作業時間を作っていたのでしょうか?
私は自宅でベビーシッターさんをお願いしていました。当時は今以上に料金が高く、ギャラはほとんどすべてシッター代に消えていたと思います。ただ、ギャラが右から左へ流れていってしまって何も残らないように見えても、あとに残るものはゼロではないんです。キャリアだったり経験値だったり、お金ではなく積み上がっていくものが必ずあります。なのでその一時期、お金をかけたり周りの力を借りたりしてでも、仕事を続けることは意味があると思います。
──これまでの担当作品で、何か印象に残ってることはありますか?
デビューして少し経った頃、『アダムス・ファミリー』(1991年)の字幕を担当させて頂きました。不気味なお化け一家が繰り広げる独特なホラーコメディですが、キャラクターたちのセリフ内容自体はとても普通なんです。私はそれをそのまま普通に訳して字幕にしました。それでチェックも試写もすべてパスして作業を終え、ちょうど年末だったので私はモロッコへ旅行に行きました。
ところが年始に帰国してみると字幕が大幅に変更されていたんです。どうやらこの作品の独特なテイストをもう少し字幕に出して面白くしたほうがいいのでは、という意見が出たらしく、試写後に配給会社のほうでリライトが入り、語尾や口調、呼び方が修正されたようでした。私はモロッコにいて当時は簡単に連絡が取れる環境でもなかったので、帰国してからそれを知りました。さすがにあのときはショックでしたね。
あと、『ボンデージ』(1991年)という娼婦の告白をもとに話が進む作品の翻訳をしたときのことも印象に残ってますね。特にエロティックな映像がある作品ではなかったんですが、担当者の方から「映像は普通なので、言葉でおもいきり面白くしてください」という注文を頂きました。やるなら徹底的にやろうと思って、「漫画エロトピア」などの雑誌を買い込んで下ネタ系の言葉を研究し、思い切り振りきった翻訳をあげたところ、映像には裸ひとつ出てこないのにその作品がR指定になりました(笑)。
──そういった制作側の要望や修正がもし自分の意見と異なった場合、最終的には制作側の意見に従うのでしょうか?
いろんなケースがあるので一概にはいえませんが、基本的にはクライアントの要望があれば取り入れるようにしています。というのも、配給会社も制作会社も翻訳者も、映画を売るための一つのチームだと思っているからです。
映画は人が見なかったら映画ではありません。映画を売る側という意味で同じサイドに立っているので、頑なに自分の要望やこだわりを通すよりも、同じチームの意見は取り入れるべきだと思っています。
【映像翻訳の醍醐味】追い込みのときがいちばん楽しい
──いい翻訳が浮かばないときは何をしますか?
散歩に行きます。外を歩いてると、ふと言葉が降りてくるときがあります。ただ私は歩きながら無意識に指を折って文字数を数えているようで、近所の人に「稲田さんはどうしていつも数を数えながら歩いてるの?」と言われます。
あとは、悩んだときは映像の中の役者さんの顔をずーっと見つめます。そうするとこの人が本当は何を言いたいのか、だんだん分かってくるんです。それが理解できると当てはまる言葉が出てくるようになります。
──劇場作品ならではの大変さというのは何かありますか?
劇場作品に限ったことではないかもしれませんが、映像のセキュリティが大変厳しいです。例えば、1994年の『ライオン・キング』のアニメ版は1本のフィルムが5リールくらいに分かれていたのですが、その映像がバラバラの順番で届いたんです。つまりリール2の次にリール5が来て、次にリール3……といった感じです。昔なりのセキュリティだったんだと思うのですけど、翻訳は映像が届いた順番に作業しないといけなかったので、話の途中から翻訳するような状態になります。そして、できた分から自分でバイクで運んで字幕入れを行う会社に届けていました。
──映像の流出を防ぐためとはいえ、大変ですね。今はいかがでしょう?
今は今で別の大変さがあります。2019年にフルCGのリメイク版の『ライオンキング』の字幕も担当したのですが、こちらは制作会社のセキュリティルームにこもって翻訳作業をする、というスタイルだったので、毎日その会社に通っていました。
そこでは映像を見ながら翻訳ができるのですが、映像も台本も持ち出し禁止、ネットも使えない状態なので、調べものが出てきたときはその部屋の厳重な二重ロックを解除して外に出て調べていました。部屋には監視カメラがついていたので、これは誰が見ているのか聞くと「本国アメリカのスタッフです」と。それを聞いて最初は背筋をのばして仕事をしていましたが、さすがに数日で気にしていられなくなりました。
──苦手なジャンルはありますか?
基本的にはありませんが、スポーツものや金融ものは少し苦手かもしれません。ただどんなジャンルでも周りの協力でたいてい何とかなります。少し前に担当した『ドント・ルック・アップ』(2021年)は宇宙ものでしたが、友人のご主人がJAXA(宇宙航空研究開発機構)の方なのでいろいろ協力して頂きました。
この仕事をしていると、専門知識を持った友人は本当にありがたいです。今はネットでもかなり調べられますが、ネットの情報が実際の現場で使われてる言葉とは微妙に違ってることはよくあります。字幕翻訳は言葉を短くする作業ですが、その言葉をちゃんと理解していないと短くすることもできないですから。
──交友関係が大切ですね
本当に大切です。以前こう言われたことがあります。「人間に面が3つしかないと、その3面分で接する人としか友達になれない。でも様々な面を持っていると、少しでも接したその面からいろんな人と繋がることができる。だから多角的な面を持てる人間になりなさい」。机に座ってても友達の輪は広がらないので、外に出ていろんな面を持つようにすることも大事だと思います。
──改めて、映像翻訳の醍醐味とは何でしょう?
昔は、キャリアを積めば積むほど翻訳作業は慣れて楽になるのかと思っていたんです。ところが実際にはいつまでたっても楽にならない。毎回苦しみます。でも締め切り前の2日間だけ、自分が天才になるんです。苦しいところを越えて最後のほうでやっと作品の全貌が見えてきて、いろんな部分が理解できるようになります、そうするとテンションがどんどん上がって、すごくいいセリフを思いつく。その追い込みのときがいちばん楽しいです。ただ、そこにたどり着くまでは本当にしんどいですけどね。
──最後に、翻訳者を目指す方たちにメッセージをお願いします
まずチャンスというものはいつどんな形で来るか分からないので、常に自分をブラッシュアップしておく必要があるということ。「幸運の女神には前髪しかない」と言いますが、幸運の女神が通ったときに、その髪をつかめる自分でないといけない。チャンスが来てから努力するのでは遅いんです。
それと以前、グレイシー柔術の格闘家であるホイス・グレイシーさんからこんなことを言われました。「水は上から垂れてきて、そこにどんな障害物があっても必ず通る道を見つける」。それは「どんな技にでも弱点がある」という意味だったようですが、これは人生にも言えることだと思いました。たとえば映像翻訳の業界にしても、入るのが難しいと感じることがあるかもしれませんが、どこかに水が入っていける通り道は必ずあるんだと。なので自らを柔軟に保って様々なことを試しながら、自分なりの道を探ることが大切なのかなと思います。
近日公開予定の稲田さんが字幕翻訳を担当した作品
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』(配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)
12月23日(金)よりTOHO シネマズ 日比谷ほか全国の劇場にて公開。「イチオシお正月映画です」(稲田)
『Triangle of Sadness(原題)』(配給:GAGA)
公開時期未定。「今年のパルム・ドール受賞作品。これ、かなりおもしろいです」(稲田)
【取材・文】
梶尾佳子(かじお・けいこ)
フリーランスの字幕ディレクター兼ライター。日本語版制作会社の字幕部にて6年勤務した後、独立してフリーランスに。翻訳を含め、言葉を扱う仕事に関する様々な情報や考えを発信していけたらと思っています。
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