私自身、ここ数年女性言葉をめぐる世間の意識について改めて考えさせられることが多く、翻訳作業で方針が揺らぐこともありました。今回はそんな私のお悩み解消のために、もとい翻訳学習者や翻訳実践者のために、経験豊富な高内朝子さんとチオキ真理さんを招いてディスカッションを実施したわけです。当日は女性言葉(女ことば、女性語、女性役割語)に関する基礎知識をパネリストとイベント参加者で確認したあとに、映画の原文と字幕訳を用いて女性言葉に関して議論をしました。
視聴者は女性言葉をどう思ってる?
まず、女性言葉を含む役割語にはメリットとデメリットがあり、「人物像を表現する」「話者を区別する」「セリフの終わりを示す」「日本語のリズムを作る」がメリットとして挙げられた一方で、「日常会話からの乖離」「ジェンダー問題への発展」「ステレオタイプの助長」がデメリットとして紹介されました(桜井他 2018、小原 2014、水本他 2006, 中村 2020)(注1)。
注1:女性言葉に関する詳細は、中村桃子さんによる書籍『女ことばと日本語』やvShareR SUB動画『女性のセリフを女ことばに翻訳していませんか?』もご参照ください。
また、主に視聴者に対して事前にネットで実施した3択アンケート「映画・ドラマの字幕での女性言葉の使用についてどう思いますか?」では、560票の回答のうち、「作品内容や登場人物などによる」が56%で最も多かった一方で、「使わないでほしい」が36%で続き、「使われていても気にならない」は8%で最も低かったことが分かりました(注2)。イベント参加者から『「使わないでほしい」の声がかなり多かったことを重く受け止めたい』と反応があったように、結果に驚かれた方も多かったのではないでしょうか。
注2:アンケートはTwitterで広く行いました。字幕翻訳関連のアカウントでアンケートを実施したため、回答者には一般視聴者に加えて字幕翻訳者も含まれていると考えられます。https://twitter.com/vShareR_SUB/status/1412304927863439360
翻訳者・字幕ディレクターの見解
基礎知識と視聴者の傾向に触れたら、ディスカッションへ。女性言葉は上記以外にも様々な観点から論じられるべきですが、アンケートの結果も踏まえ、まずは女性言葉を減らせないかという方針を優先しました。今回は議論に先立ち、私を含めた3名が同じ原文を各自で字幕に翻訳。それらに現れた女性言葉(今回は文末詞のみ)に対し、訳した本人が使用の意図を述べ、そして全員で女性言葉を使わない代替案の可能性を模索しました。議論にはポニーキャニオンエンタープライズの字幕ディレクターの湯浅敬介さんも加わり、翻訳者と制作会社双方の視点を取り入れるようにし、またイベント視聴者にもチャットを通じて代替案や意見を出していただきました。
議論の前半では、翻訳者とディレクターが字幕の女性言葉全般に対する思いを述べました。以下は、そのまとめです。
翻訳者の意見
- (デメリットの面を踏まえると)女性言葉を減らそうという動きはとてもいいことだと思う
- 多用は避けたい
- (だが)女性言葉の完全な排除には反対
- 作品、登場人物、世界観を踏まえ、字数制限のある中で登場人物を立てるために使っている
- 意識的に使う(or避ける)ようにしている
- (文末詞では)女性言葉を中性的な言葉に置き換えれば済むという簡単な話ではない
- 日常生活で女性言葉を使っている世代もいる
- 書き言葉と話し言葉の中間として消費される日本語字幕という性質上、日常会話を完全に再現しているわけではない
字幕ディレクターの意見
- 従来の字幕と比較した際に違和感がないか気をつけている
- 語尾のバリエーションとして必要
- 配給会社や制作国からの要望を受けて女性言葉を減らしていくようになる可能性もあるものの、現状は登場人物を的確に表現できる1つの技術として使っている
- 過渡期を迎えていると感じている
- 翻訳者か制作会社の片方が回避を望んでも、もう片方が使用を望む場合がある
どうすれば女性言葉を避けられるか?
イベントの後半では翻訳した字幕を用いて、どうすれば女性言葉を避けられるか議論しました。ここでも翻訳者の思いを伺い知ることができました。いくつかご紹介しましょう。作品は『PUBLIC』という英語の短編映画です。アメリカの中学校が舞台で、ハリントンとトンプソンという若い女性教員2人が密かに交際しています。そしてハリントンは女子生徒シャーデイと男子生徒カルロスを連れて放課後の課外活動に出るが… という話です(vShareR SUBにて視聴できます)。本作を選んだ理由は女性言葉を避けづらいシーンが多いからです。創作物内で女性言葉を多用する登場人物はキャリア系と専業主婦系に多いようで(水本他 2006)、さらにそうした人物が年下と話す際に女性言葉が多いのでは、と私は常々感じておりました。
字幕例①
女性言葉を用いた字幕 | 誰も来ないわよ |
原文 | Nobody’s upstairs. |
校舎上階で2人きりのシーンで、人目を気にするハリントンにトンプソンが言うセリフです。「誰も来ないよ」「誰も来ない」「誰も来ないって」といった中性的な代替案が出ました。これらの代替案では念押しの意図が弱まったり、伝聞の意図で伝わったりしないかという懸念も出ましたが、セリフ前の2人の動作を踏まえれば意図の取り違えはないという声もありました。
字幕例②
女性言葉を用いた字幕 | 追い出したいの? |
原文 | Well, where do you want her to walk? |
同じシーンで女子生徒の話題になり、手を焼くハリントンにトンプソンがかけるセリフです。「追い出したい?」という案が出ましたが、念押しの意図のために「の」を維持したいという声もありした。念押しなら「追い出したいわけ?」もよいという意見も挙がりましたが、目標文字数が6文字なのでこれ以上の字数増加は避けたいという声も出ました。また、そもそも「~の」は厳しく使用を避けなくてもよいと考えているという声もありました。「話し言葉では男女ともに使われている」「女性らしさが強い単語とも感じない」といった根拠がパネリストやイベント視聴者から聞かれました
字幕例③
女性言葉を用いた字幕 | 携帯は禁止よ |
原文 | You can’t have that in school. |
シーン変わって、携帯電話をちらつかせる女子生徒シャーデイにハリントンが注意するセリフ。私が女性言葉で最も悩むタイプの字幕です。このような名詞述語文に、ハリントンのようなキャラ(成人だが中年ではない&会話の相手から見て年上)にふさわしい語尾がなかなか見つからないのです(注3)。今回も「禁止だよ」という案が出ましたが、「優しすぎるし、友達に話しかけているみたい」ということで却下されました。「禁止です」も違和感があります。すると結びは、「よ系統」か体言止めばかりとなります(場合によっては「~だわ」などの「わ系統」も見かけますが)。ここで女性言葉を使えないとなると、残る選択肢は体言止めのみ。議論ではパネリストとイベント視聴者で試行錯誤しましたが、時間の制限もあり決定的な打開策は出ませんでした。
注3:名詞述語文とは「XはYだ/XはYである」といった文章のこと。今回の話者が男性であれば、体言止めに加え「禁止だ」「禁止だぞ」などのバリエーションがあり得るでしょう。その中でも「~だ」は名詞述語文の標準形とされることが多いので、女性セリフの字幕に使ってもよいはずです。しかし実際に使ったら翻訳者・視聴者ともに違和感を覚える人が多いでしょう。理由は「日常会話で使っている女性がいないから」だけではありません(昨今は男女ともに使っている人は少ないはず)。女性の字幕の「~だ」に違和感を覚えるのは、「~だ」の持つ主張性・断定性によるものだと言われています(三枝 2001)。だから女性の字幕では「~だわ」や「~よ」などを用いて、語気を和らげなければいけないと考えるのではないでしょうか。男性の字幕が主張をしても人は違和感を抱かないのに、女性の字幕が主張したら違和感を抱く…。仮に原文が主張の強いセリフだとしても…。何だかモヤモヤしますね。なお、名詞述語文は字幕だけではなく日本語全般の現象として今なお研究されています。
字幕例④
女性言葉を用いた字幕 | 教室で待つわ カルロスは先に帰す |
原文 | I’m gonna be in the room. I’m gonna send Carlos home. |
課外活動の最中、落ち込む女子生徒にハリントンがかけるセリフ。翻訳者2名が1行目に「わ」を使用していました。『「わ」を足して文章の終わりを明確にし、「教室で待つカルロス」という修飾的な誤解を避けたい』『2人の関係性を踏まえると「わ」が妥当』『優しい呼びかけなので「わ」をつけた』といった声が出ました。「待つよ(or待っているよ)」という代替案が出ましたが、「2人の関係性にそぐわない」という懸念も聞かれました。なお「カルロスを帰して/教室で待ってる」と訳した方が1名いて、原文との文章順は異なるものの女性言葉は避けられていました。
字幕例⑤
女性言葉を用いた字幕 | どうすべきか迷うわよね |
原文 | You don’t know what you’re supposed to do. |
同じシーンで、女子生徒にハリントンがかけるセリフ。女性言葉の度合いが強いですが、この翻訳者は「大人として諭している雰囲気を出したかった」と意図的な使用を述べていました。議論では『「~迷うよね』なら女性言葉の度合いを下げられる」という意見が出ましたが、この辺りは字幕に持たせたい印象によっても判断が分かれるでしょう。「わよね」の翻訳者が上記の意図を述べた一方で、「よね」に肯定的な翻訳者は教師から生徒への歩み寄りの表現として有効だろうと述べていました。作品全体を通してハリントンの人物像を字幕でどう表現しているのかも重要です。「わよね」の翻訳者は『ここを「よね」とすると、私の字幕版を全体で見た時に、ここだけハリントンの口調が変わる』と述べていました。まさに“木を見て森を見ず”に釘を刺すひと言。また、イベント視聴者からは「どうすべきか迷うはず」という代替案も出されました。
以上、例を5つ挙げました。なお、女子生徒のセリフ字幕に「~の」以外の女性言葉を用いた翻訳者はいませんでした。
こうして振り返ると、どの翻訳者も日頃から女性言葉を意識的に使用または回避していることに改めて気づかされます。また、翻訳者の意図するニュアンスを保つという観点においては、女性言葉を用いない表現が思うように当てはまらない箇所もあったように思います。ただそれでも女性言葉を避けた有効な代替案が出るなど、工夫の余地がまだあるようにも感じられました。字幕例③で言えば、今回設けた「字幕の大幅な変更は避ける」というルールから外れるものの、「携帯はダメ」という代替案がイベント視聴者から出ています。
今、字幕翻訳における女性言葉は確かに過渡期を迎えているのかもしれません。だからこそ、翻訳者の多くが手探りの状態なのでしょう。今回のディスカッションにご出席してくださった高内さん、チオキさん、湯浅さん、そしてイベント視聴者の皆様に深く感謝するとともに、イベントと本稿が字幕翻訳と女性言葉に関して疑問や不安を抱く方の一助になればと願います。
参考文献:
桜井徹二,藤田奈緒,新楽直樹『字幕翻訳とは何か:1枚の字幕に込められた技能と理論』(Kindle, 2018)
中村桃子『女ことばと日本語』(岩波書店, 2012)
三枝令子「『だ』が使われるとき」(『一橋大学留学生センター紀要』収録, 2001)
水本光美,福盛寿賀子,福田あゆみ,高田恭子「ドラマに見る女ことば『女性文末詞』:実際の会話と比較」(『北九州市立大学国際論集』収録, 北九州市立大学国際教育交流センター, 2006)
小原千佳「話しことばの終助詞について : 映画にみる女性文末詞」(『田中和夫教授定年退職記念特集号』収録, 宮城学院女子大学日本文学会, 2001)
映像:
『PUBLIC』(監督 Jeannie Donohoe, 2010)
『【字幕翻訳における言葉遣いを考える】女性のセリフを女ことばに翻訳していませんか?』(中村桃子, vShareR SUB, 2020)
【執筆者】
堀池明
字幕吹替翻訳者。翻訳学校を修了して英日の字幕翻訳を開始し、次第に吹替翻訳も手がけるようになる。翻訳歴は11年ほど。また大学の担当授業でも翻訳通訳リテラシー教育等に努めている。代表作に『セントラル・インテリジェンス』(字幕)、『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(吹替)など。米国セントラル・アーカンソー大学卒業、立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科修士課程修了。オスカー翻訳事務所代表。