【今回の執筆者】
沖 茉樹子(おき・まきこ)
映像翻訳者養成学校での講座を2年間受講し、卒業後のトライアルを経て2015年フリーランスの字幕翻訳者に。主な翻訳作品は『シックス・フィート・アンダー』 『スタートアップ』 『バットマン:バッド・ブラッド』 『史上最悪の地球の歩き方』など。
南の島スリランカで字幕翻訳
突然ですが、私は今、南アジアの島国スリランカに住んでいます。私にとってスリランカは翻訳者になる以前から縁のあった国で、過去も合わせると通算で4年半ほど住んでいます。字幕翻訳者になって3年が経ち、仕事も軌道に乗ってきていたものの、「他の仕事もしてみたい」、「海外に住みたい」と考えていたワガママな私は、フリーランス一本での東京での生活に区切りをつけ、兼業を始めました。手がけられる作品数はかなり減りましたが、自分にはこのスタイルのほうが合っているようです。仕事の関係でスリランカへ転居してからも、不定期ではありますが、翻訳者としての活動を続けています。フリーランスの働き方は十人十色ですが、私はかなり変わり種の部類でしょう。
パソコンとインターネット環境さえ整っていれば、海外に住んでいても字幕翻訳はできます。図書館で日本語の文献を探すことができないので調べものでは不利ですが、それ以外では特に支障を感じたことはありません。東京で翻訳者をしていた頃は、家にひきこもって人にも会わずモクモクと翻訳に没頭する生活を送っていましたが、現在は常夏の南国でゆったりした生活を送りながら、時々翻訳の仕事をいただいています。
スリランカのように少し珍しい国に住んでいると、思わぬ話が舞い込むこともあります。2019年の大阪アジアン映画祭で『アサンディミッタ』というスリランカ映画が上映されることになったのですが、その字幕翻訳のご指名をいただく機会がありました。スクリーンで上映される作品にはそれまで一度も縁がなかったのですが、意外なところでチャンスが巡ってきました。自分にゆかりのあるスリランカの作品を担当できたことは、とても感慨深かったです。
忘れていた、あこがれの職業
字幕翻訳に興味を持ったのは高校生の頃でした。映像が好きだったことと、英語が好きな科目だったことから、自然と字幕翻訳の仕事にあこがれを持ちました。しかし、当時は今ほど字幕翻訳者になるための道は開かれたものでなく、インターネットも普及していなかったので得られる情報もほとんどありませんでした。あこがれはしたものの、自分には縁のない世界だと考え、早々に諦めてしまいました。
大学を卒業し、国内外でいくつかの仕事を経験しましたが、どの仕事も続いたのは2~3年。典型的なジョブホッパーの状態で30代に差し掛かかり、「私が人生でやりたいことは何なのだろうか?」と考える時期がありました。その時ふと頭に浮かんだのが、目指すことなく諦めてしまった字幕翻訳でした。調べると、今では翻訳者の養成講座がたくさんあり、受講後に制作会社のトライアルを受ければ翻訳者になれる可能性があるということを知りました。「やりたいことはこれだ!」と閃き、翌日には講座に申し込んでいました。
「映像翻訳で食べていくのは難しい」
字幕翻訳者になるぞ!と決意し、翻訳者養成学校の門を威勢よくたたいた私を待っていたのは、講師からの厳しい言葉でした。「毎年1学年に100人ほど受講生がいて、卒業後に仕事を得られるのは2~3人。0人の年もある」と。門戸の狭さに唖然としました。追い打ちをかけるように、「これからの時代、映像翻訳だけで食べていくのは難しい」という現実的な意見も耳にしました。モチベーションを打ち砕かれそうになりましたが、在学中は映像翻訳者になることを懸命に目指して学び、翻訳者養成学校の運営元である制作会社が実施するトライアルを経て、なんとか無事に字幕の初仕事を得ることができました。
1作品、1作品を必死で仕上げた
無事に翻訳者としてスタートを切ったものの、私は英語力が特出して高いわけでも翻訳スピードが速いわけでもないので、ひとつひとつの仕事を必死でこなしました。1年目はドキュメンタリーや特典映像を数多く受注しました。いつも自分の実力以上の仕事を無理やりこなしているような感覚で、毎回とても苦しく感じていました。しかし、私は最初からフリーランス一本での生活を始めたので、食べていくためにも本数をこなさねばなりません。苦しいと思いつつも、声をかけていただいた仕事は全く断りませんでした。毎週締め切りに追われる生活でしたので、落ち込んだり悩んだりしている暇もなかったように思います。
その後シリーズ作品やドラマ、映画も少し担当させていただけるようになりましたが、最も苦労した作品は、アーネスト・シャクルトンという南極探検家の冒険を描いたTV映画『探検家シャクルトン 南極探検の軌跡』でした。CS放送用の字幕を作成するということで依頼をいただきました。TV映画といっても前編90分・後編90分におよぶ大作で、ケネス・ブラナーが主役を熱演しており、見ごたえのある感動作です。聞きなれない船乗り用語、スコットランド訛り、史実の裏取りなどにとても苦労しました。何度もサジを投げそうになりながら、なんとか仕上げた思い出の作品です。
『バットマン:バッド・ブラッド』では、過去に多くの作品がつくられているシリーズならではの苦労がありました。バットマンのような有名シリーズでは、すでに構築されている独特の世界観がありますし、キャラクターも確立しています。既出キャラクターの口調や一人称だけでなく、固有名詞も過去の作品に合わせる必要があります。それまでバットマンにはあまり詳しくなかったので、調べものに苦労した思い出があります。
制作会社の担当者からいただくダメ出しの数々に毎回凹みながらも、無理矢理にでも途切れずに受注し続けたことで、ある程度の軌道にのせることができたと思います。初仕事から2年ほど経った頃には、取引のある制作会社は3社になっていました。様々な作品を通して経験を積ませてくださった制作会社の皆様に、感謝の気持ちでいっぱいです。
今後、日本へ帰国したり他の国へ引っ越したりする可能性もありますが、字幕翻訳は住む場所を選びませんので、ライフワークのひとつとして長く取り組んでいきたいと考えています。