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【新連載】天野優未「1秒40文字 〜ある字幕翻訳者の頭のなか〜」第1回:翻訳に国語力は重要……では、その国語力とは?

「1秒40文字」とは?
字幕翻訳では1秒のセリフに対して4文字の割合にするのが読みやすい文字数だと言われていますが、人間が頭のなかで考える言葉は、実際に話す言葉の10倍速いという説があるそうです。この連載では、実際に字幕としては表示されることのない、字幕翻訳者の頭のなかで繰り広げられる1秒40文字の言葉をエッセイという形で皆様に共有できればと思っています。

翻訳者のエゴが暴走するとき

翻訳講座の受講生に「克服したい課題は何か」と聞いて、最も高い確率で返ってくる答えとして「国語力」があります。翻訳には英語力も必要ですが、英語力は講師に相談しなくても改善方法が簡単に見つかるからかもしれません。ただ率直に言って、この「国語力」ですが、具体的に「国語力」とは何かを考えずに、ただ読書を積み重ねたり、辞書を引く回数を増やしたりするだけでは、むしろ翻訳力の低下を招くこともあると私は考えています。

では、「翻訳に役立つ国語力」とは何か? それは一言で表すと、「コペルニクス的転回」を試みる力だと私は考えています。この時点でピンときた方も、こなかった方もいるのではないでしょうか。これをきちんと説明するには、順を追って話す必要があるので、まずは一般的に言われる国語力とは何かということについて論じたいと思います。

「国語力」と言ったとき、きっと多くの人が思い浮かべる概念として、「良質な読書経験を通じて得られた豊富な語彙力」があると思います。しかし、私は少なくとも字幕翻訳においては、単純な語彙力は「翻訳力の向上に直接的に役立つ国語力」とは呼べないと考えています。

まず、前提として、字幕翻訳者をキャリアの一つとして考える人は、世間の平均よりは活字好きだと想定されます。これは褒めているのではなく、観客の立場になって訳を考えられなくなる危険性の指摘です 。元から活字好きの人が、自分の知らない語彙を求めて更に読書量を増やす…… 結果としては、「ピッタリの訳語が思い浮かんだが、万人に通じる言葉ではないので、使えなくてフラストレーションが溜まる」状況が増えるだけではないでしょうか。

「あえて耳慣れない言葉を使うことで、新しい表現に触れてもらう」ことを目指す翻訳というのもあると思います。しかし、これは字幕翻訳の特異な点で、オリジナルの作品には字幕に当たる文字はなく、つまり文字なしですでに完成している作品なので、活字をしっかり読ませてしまっている時点で、作品への没入を妨げる邪魔な翻訳となってしまうだけなのです。

「こんな美しい表現があることを、観客に知ってほしい!」という欲が出た時点で、翻訳者のエゴが暴走していると言えます。もちろん、一つのことを表現する言葉をいくつも知っていることは翻訳に深みを出すのに役立つでしょうが、「語彙を豊かにする」は「字幕翻訳に役立つ国語力」としては中心にはこないでしょう。

国語専門の塾

さて、いつまでも「こうだとは思わない」例を挙げていても仕方ないので、そろそろ本題の「コペルニクス的転回」を試みる力についてお話ししましょう。そのために、10年以上前に私が国語専門の塾で講師として働いていたときの話をしたいと思います。

その塾では、 「国語力を養えば、国語の成績が上がるのみならず、読む力・書く力が身につくことによって、全ての教科ができるようになる」という考えのもと、学校の勉強の先取りではなく、読書と作文指導の2本柱で、小学生から高校生までの生徒を中心に教えていました。特徴的だったのは、突然何の手引きもなく「思ったままを書け」とだけ言う学校の作文教育に異を唱え、自分の気持ちや考えを表現する練習より先に、物事を言葉で説明する練習を積み重ねていたところです。

分かりやすい例で言うと、教室のどこかに物を隠してもらい、文章を読んだだけで、その教室に初めて来た人でも、その隠された物を見つけられるような指示書を200文字以内で書かせる練習をしていました。これは単に文章を書く基礎練習というだけでなく、自分以外の人が読んだときに、自分の頭のなかで考えていることと同じ内容を受け取ってもらえるように書く練習でもあります。おしゃべりと違い、文章は形に残していろんな人に読めるように複写することもできます。そのため、時や空間を超えて届く可能性を考慮する必要があります。200文字以内の指示書は、それを実感できる課題でした。

他にも、新聞連載の4コマ漫画を、実際にその漫画を見てない人に伝わるように内容を200文字以内で説明する作文をさせることもありました。これは新聞連載というのが肝で、新聞の4コマ漫画は毎話逃さず全部読んでいる読者より、時々読んだり、読まなかったりする読者のほうが多いのです。そのため、人物や舞台の設定を知らない人でも、初めて読んだときでも分かるように描かれているので、要約文も同様に、設定を知らない人にも分かるように書く必要があります。そのうえ、絵も見ずに話が分かるように書けというのですから、子供でもチャレンジできる課題ですが、大人でも適切な説明文を書こうと思えば非常に難しいものです。 漫画を読んでいない、つまり、情報を持っていない読者の頭のなかを想像して、その読者に、自分の頭のなかにある漫画の情報が伝わるように書くことが要求されます。

字幕翻訳者に必要な国語力とは

さて、上の作文の話が、どう字幕翻訳に関係してくるのか。

私の考える「字幕翻訳に最も必要な国語力」とは、「自分と違う立場の読者、自分と持っている情報に差がある読み手の頭のなかを想像し、その人たちに伝わるような言葉を綴る能力」です。

こうした「他者の立場の想像」という話になったときに、私がよく思い出すのは『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著/岩波書店/1982年刊行)という小説で描かれた「コペルニクス的転回」です。学校の課題図書によくされるので、読んだことのある方が多いと思います。読んだことない、あるいは読んだけどすっかり内容を忘れたという方は、この「コペルニクス的転回」について書かれた第一章だけなら30ページもありませんから、ぜひこの機会に手に取っていただければと思います(ちなみに、同題名のジブリ映画の原作ではありません)。

小説内で描かれる「コペルニクス的転回」がどのようなものかを説明するため、該当箇所を一部引用したいと思います 。ある日、中学1年生の主人公・コペル君(あだ名です)は叔父さんとデパートの屋上から人の流れを眺め、「人間て、ほんとに分子みたいなものだね」と言いました。その晩、叔父さんはノートに以下のような文章をしたためます。

「君の感じたとおり、一人一人の人間はみんな、広いこの世の中の一分子なのだ。〔中略〕子供のうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。子供の知識を観察したまえ。みんな、自分を中心としてまとめあげられている。電車通りは、うちの門から左の方へいったところ、ポストは右の方へいったところにあって、八百屋さんは、その角を曲がったところにある。〔中略〕それが、大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方になって来る。広い世間というものを先にして、その上で、いろいろなものごとや、人を理解してゆくんだ。〔中略〕自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類は宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることが出来ないでしまう」

引用が長くなりすぎるので省略しましたが、「大人になっても、全てのことを自分中心でなく考えるのは難しい」ということも書かれています。

翻訳者にとって、翻訳することはお金を稼ぐ手段であると同時に、 こういった「コペルニクス的転回」を実践しようとする試みでもあるのではないかと、私は思っています。

そして、これが今回の連載の打診をされたとき、迷ったけれど引き受けた理由でもあります。普段からSNSなどに翻訳について考えたアレコレを書き連ねるのは好きですが、お仕事として、原稿料をもらいながらきちんとした文書を書くとなれば負担は段違いです。でも、読み手を想像し、他者の心に響くように文章を書くことこそが、この「コペルニクス的転回」を果たそうとする試みで、字幕翻訳者に必要な国語力を養う修練になると考えました。

第2回以降は、もう少し具体的な字幕翻訳の取り組み自体について語るかもしれませんが、どんな内容にしろ、この「コペルニクス的転回」を書き手と読み手が一緒に目指していく営みにしていきたいと思っています。ぜひお付き合いいただければ幸いです。

【執筆者】
天野優未(あまの・ゆみ)
映像翻訳家。大学で図書館情報学を学び、外国人に英語を使って日本語を教える仕事や言語学コーパスの作成、国語専門塾の講師やテレビリサーチャーなどの職を経て2016年字幕翻訳者デビュー。2023~2024年にフェロー・アカデミーにて字幕クラス担当、2023年・2024年にHuman Powered Academyにてオンライン登壇。2024年から、vShareR 字幕翻訳塾 天野ゼミを3期連続開講。その他、大学にて特別講義など。主な担当作品は配信作品を中心に、ドラマ『ウェンズデー』『ウィッチャー』『ザ・クラウン』『13の理由』『セックス・エデュケーション』『アンブレラ・アカデミー』『ノット・オーケー』、映画『喪う』『オールド・ガード』『ライフリスト』『リベンジ・スワップ』『アダム&アダム』など多数。

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